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vol.9 宙に浮いた言葉

電車に乗ると、塔子は座るために座席を探した。
そこは始発駅で、時間帯もラッシュアワーではないため、空いている席はたくさんある。塔子は安心して一番端の席に腰かけた。
時刻は、朝の11時。半端な時間なので、乗り込んで来る人もまばらだ。
鞄の中から母子手帳を取り出す。そこには先程の検診で貰ったばかりのエコー写真が挟まれている。塔子はじっくりとその写真を眺めた。

月に一度検診を受けて貰える写真には、はっきりと人の形をしたものが映し出されている。不思議だ。初めて見た時は、人なのか何なのかわからない、ただの丸い影だったのに。今では、それは人間なのだと充分に理解できる。

ここは、頭だ。横を向いている。これは腕。そしてお腹。この短くて、申し訳程度に付いているのが、足なんだな。
写真を眺める。そして、無意識にお腹を触る。これが、ここに、入っているのだ。生きて、成長しているのだ。まだ子供を産んだ事がないので、実感が湧かない。しかし、塔子に実感があろうがなかろうが、それは現に塔子のお腹の中で生きているのだ。塔子の体から栄養を取り、日々人の形へと変貌している。

最近では、お腹の子供が動いているのが感じられるようになった。元気な赤ちゃんのようで、塔子が眠っている時間にも関わらず、大暴れする時もあった。塔子はびっくりして目を覚ます。お腹の赤ちゃんはキックやパンチを繰り返し、なかなか静まらない。塔子は赤ん坊をあやすように、優しくお腹を撫でながら、眠りに着く。

塔子が起きていて、彼も家にいる時に胎動があると、塔子は彼にもこの喜びを味わってほしくて、彼の手を掴んで自分のお腹に押し当ててみた。
「うわっ。動いてる」
気持ちが悪いから、もういいよ、と彼はすぐに手を離す。女とは違い、子供が出来ても自分の体調にも日常にもなんら変化のない男に、この不思議な感覚をわかれと言う方が無理なのだな、と塔子は思った。それ以来、彼は塔子のお腹に触れる事はなかった。塔子も無理に触らせようとはしなかったし、彼も自主的に子供の成長を実感しようとはしなかったからだ。

出発のベルが鳴り、ドアが閉まった。駆け込んで来た数人の乗客が、塔子の前を歩いていく。その人波の中に、見知った顔があった。塔子は呼びかけた。
「お母さん」
母は塔子に気が付き、塔子の隣りに腰掛けた。
「今日は遅出だから、今から出勤なのよ。塔子はこんな時間に何してるの?」
「今日は検診だったの。写真、見る? こんなに大きくなったんだよ……」
「そういえば、昨日眼科に行ったら、白内障が進行しているから、今度家族の人と一緒に来るようにって言われたのよ。あなた、来週空いてる?」
母は塔子が見せた写真には見向きもせず、自分の用件を話し出した。

いつもの事。いつもの事だ。私に初めての子供が生まれようとしていても、そんな事、母にはどうだっていいのだ。塔子は諦めて、写真を母子手帳に挟み、それを鞄にしまった。

「家族を呼べっていうなら、何か大切な話があるんでしょ。いいよ、行くよ」
「あ、そう。それでね、昨日会社で大変な目に合ってねぇ……」
母はひっきりなしに喋り続けた。会社で腹が立った話。自分の体調不良の話などだ。
アナウンスが流れ、電車は塔子の降りる駅へと滑り込む。母は気付いているのか気付いていないのか、お構いなしに話を止めない。じゃあね、と塔子が降りようと立ち上がろうとしても、母はずっと話を続けた。話の途中で席を立つのがなんだか悪いような気がして、結局塔子はその場で相槌を打ち続けた。ドアが閉まり、電車がゆっくりと動き始める。

母の話など、ほとんど聞いてはいなかった。流れる景色。どんどん流れて過ぎ去ってしまう景色を見ていた。ただ、母の話で一カ所だけ頭に飛び込んで来たフレーズがあった。
「白内障で見えにくいから、階段の上り下りが怖いの」、という言葉だ。今の自分と同じだ、と塔子は思い、無意識にお腹をさすった。その時、塔子のお腹の中で、赤ん坊が激しく動き出した。大丈夫、大丈夫だからね、と塔子はお腹を優しく撫でた。母は相変わらず、何かをずっと喋り続けている。やがて胎動は治まり、塔子はホッと一安心した。

母の乗り換える駅を、アナウンスが告げた。母は話の結末も言わないまま、またさよならの言葉もないまま突然立ち上がり、ドアの向こうへと消えて行った。




いつも最期までお読み下さり、ありがとうございます。
しろ☆うさです

なんだか暗い話ばかりで申し訳ないですね
まだまだ続くので、お付き合い下さい(笑)。



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