FC2ブログ
<< vol.89 母の思い出 5 :: main :: vol.87 空想 >>

vol.88 母の入院生活 24

最後に取ったアポイントは、塔子の家から自転車で僅か15分ほどの距離にある市営の老健だった。今まで面談に行ったどの老健よりも、近い。もし受かったのなら、通うのもかなりラクであろう。塔子は最後の望みを掛けて、受話器を取った。頭が割れそうに痛かったが、そんな事を気にしている余裕はない。今までと違い、そこは面談は一度だけらしい。一回目から直接本人を連れて面談に来て欲しいと言われた。日時を決め、塔子は礼を言って受話器を置いた。そして、今度は母が入院しているリハビリ病院に電話をし、ソーシャルワーカーの上田に繋いでもらった。
「日時、決まりました。○月○日です。その日に母も一緒にと言われました」
「そっか。じゃ、それまでに外出届けを出しておいてね」
「はい。明後日、そちらに行くので、その時に出しておきます」
「……あそこはね、うちから何人も行った事があるけれど……どうかな。市営だし、今まで塔子さんが面談に行った老健とはちょっと雰囲気が違うかも」
「そうなんですか」
「でも、そこに決まれば、塔子さんの家からは近くて便利だよね。頑張って来て下さい」
「わかりました。ありがとうございます」
塔子はそう言って受話器を置いた。カレンダーに印を付け、時間と場所を書き込む。そして、一年生の沙耶の宿題を見ながら、夕食の準備に取り掛かった。早く食事を作って、食べ、痛み止めを飲みたかった。本当は、母からも、纏わりつく子供達からも離れ、どこか静かなところで一人きりになって休みたかった。しかし、母の面倒をみるのは自分しかいないのだし、子供達の世話をするのも自分しかいない。食事の用意。入浴の世話。布団を敷いて、明日は弁当を作って、園児の遠足の付き添いだ。やらねばならない事は、山ほどある。自分が臥せるわけにはいかない。

たまに耐え切れずに、ソファの上で横になる事もある。多少の罪悪感を感じながらも、痛みや不調はどうする事も出来ない。たった数十分の休憩でも、塔子はビクビクしていた。こういう状況になると、絶対に彼に何かを言われるからだ。それは呆れたように。時には穏やかに笑いながら。馬鹿にしたように蔑む時もあれば、大丈夫? と視線はテレビに釘付けのまま、優しさを繕う時もあった。どの反応が来るのか、それはその日になってみないとわからない。ただ、どの反応であったにしろ、そこに他者を気遣う心を感じ取った事は全くない。愛情や、優しさ。そんなものは要らない。二人が夫婦という仮面を被った赤の他人である事は、よくわかっている。そんな生ぬるいものを求める気持ちすら、既に失せた。ただ、他人であったとしても、他人同士だからこそ、示さねばならない心遣いはあるはずだ。あるはずなのだ。しかし、残念ながら、彼はそういったものを持ち合わせてはいなかった。持ち合わせていなかったのだから、それはそれで仕方がない、と割り切って生活していたが、体調が悪くなるにつれ、忙しくなるにつれ、彼の発言の一つ一つ、彼の行動の一つ一つに、恐ろしく、悲しく、情けなく、そして虚しく感じてしまう自分がいた。独りになるのが怖くて、私は結婚したのだ。無自覚でも、おそらくそういう意味合いで自分が結婚をした事に、心の奥では薄々感づいている。父に捨てられた悪夢を、母に裏切られた猛烈な憤りを、私は結婚という形で紛らわし、新しい基盤を、新しい枠組みを作ってそこに逃げ込む事で、自分を無意識に守っていたのだ。

それなのに。否、それだから、なのか。今の私は空っぽだ。幼い頃から一番欲しかったもの、それを未だ手にしてはいない。かつては手にしていたかもしれないそれは、いつも気付けばそこにはない。指と指の隙間から水が零れ落ちるように、滴り落ちるように。気付いた頃には、もうそこには後型も残ってはいないのだ。大切に持っていたのだ。生きるために必要なものだったのだ。両手に溢れるくらい、持っていたのだ。やがてそれらは私の知らないところで、私の知らないうちに、責任と書かれた服を脱いで私に渡し、振り返りもせずに当たり前のように去って行った。私がそれらをどれだけ求めていたとしても、それらに届く事はない。あるいは、それらは私の叫びに本当は気付いていたのかもしれない。気付いていて、敢えて、そうしたのかもしれない。子供より、自分を守る事の方が大事だったのかもしれない。空っぽになった私の前に現われた彼を、私はどうしても自分から手放す事が出来なかった。信頼。愛情。日々の穏やかな暮らし。それらが自分の背景と化した今、彼だけは私に残された、たった一つの現実だった。今だった。

罪悪感を感じながら、体をソファに預ける。ママ、ママ、と子供達が纏わりつく。帰って来た彼が、眉間に皺を寄せながら、晩ご飯の催促をする。彼の夕食を温め直しながら、明日の弁当の下ごしらえをする。介護タクシーの手配をし忘れた事に気付く。明日、遠足から帰って来たら、すぐに電話をしなくては。それにしても、頭が痛い。もう、ずっと頭が痛い。

いつになったら解放されるのだろう。この、辛い現実から。病院から電話が掛かってくるのが辛い。子供が甘えてくるのが辛い。ただいま、と彼が帰って来るのが辛い。けれど、弱さを出してはいけない。隙を見せれば、彼の嫌味が襲い掛かる。頑張りが足りないと責められる。今は、眠っている時だけが幸せな瞬間だ。けれど、朝、目覚めるのが辛い。一瞬にして、現実に引き戻されるからだ。自分を求める全ての手を、母の手を、看護師達の手を、子供達の手を、ママ友達の手を、彼の手を振り払って、永遠に眠り続けたいと思う。


「母の入院生活」シリーズ



↑↓いつもありがとうございます
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
にほんブログ村

いつも最後までお読み下さり、ありがとうございます

しろ☆うさです

今回のおはなしは、「母の入院生活」の続きです。

24話目となりました!

内容は……今回もかなり暗いです。ま、いつも暗いですけどね 群を抜いて暗いというか(笑)。

まぁ、今までなんだかんだ暗さはあっても、塔子ちゃん、あまり後ろ向きじゃなかったんですよ。いや、思考はかなり後ろ向きだけれど、後を見ながら手はちゃんと動かしてる感じ? 現実とちゃんと向き合って、戦っている感じはあったんですよね。

でも、今回は、そういうのもなく(笑)。ただ、後向きなだけの人というか(笑)。「現実」に負けつつあるというか。

うん。弱気な塔子を今回は全面に出してみましたー(笑)。たまにはいいかなと思って。もう、なにもかもが嫌になる時って、きっと誰にでもあると思うし。そーいう感じです。

逆に、今までよくならなかったな、っていう(笑)。どれだけ真面目やねん。とツッコミを入れたくなる(笑)。

いつも訪問して下さる方。時々覗きに来て下さる方。そして拍手やランキングなどを押して下さる方、感謝しております。ありがとうございます

しろ☆うさでした~~(^O^)/



↑↓いつもありがとうございます
にほんブログ村 介護ブログ 介護と育児へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿












トラックバック

この記事のトラックバックURL:

 |   |