FC2ブログ
<< vol.87 空想 :: main :: vol.85 素晴らしい人格者 (からくり 3) >>

vol.86 母の入院生活 23

ソーシャルワーカーの上田から、今回もダメだったと連絡が入った。退院の期日は迫っている。このまま諦めてはいけない。次は市営の老健へアポを取るように、と上田はおっとりと塔子を諭した。はい……。はい……。そうですね……。わかりました……。塔子は受話器を置いた。心に虚しさが広がった。落ちた事もそうだが、それ以上に重く圧し掛かったのは、上田の何気ない一言だった。
「あの人は本当に頑張っています。結婚もせず、時間の全てをあの老健に捧げている……」 本当にその通りであろう、と塔子は思った。だが、上田はそういう意味合いで言葉にしたのではないのであろうが、塔子はまるで自分の努力が足りないと責められたような気分になった。彼女と比べてあなたはひどく劣っている、と言われたような気がしたのだ。それは愚かな被害者意識だ。自分でもわかっていても、そう感じてしまう気持ちは止められなかった。

本当に、愚かな感情だ。誰も自分を責めてはいない。そうわかっていても、いつも自分を責め、恥ずかしく思ってしまうのだ。頑張りが足りない自分を責め、穴があったら入りたいような気持ちになるのだ。そして、まるでその反動のように、人を蔑む気持ちもまた新たに生じるのだ。
幼稚園に海斗を送っていく度に、ママ友達の話す話題を、自分とはまるで次元の違う話題を、ニコニコして聞いている。顔では笑っていても、心では彼女らをどこか蔑んでいるのだ。園での話題。習い事の悩み。父の日や母の日に何を贈るかなどの話題。どこの美容院に通っているかなどの話題。新規オープンのカフェの話題。彼女達が話す、その全ての話題を、心の奥底ではせせら笑っているのだ。悩みとは言えない悩み事を、うん、うん、と親身に聞くフリをして、心では彼女達を心底馬鹿にしているのだ。馬鹿にしながらも、その軽さを、その背負う物が何もない状態を、渇望しているのだ。何故自分だけが、と醜い被害者意識が生まれるのだ。彼女達を見る時、いつも目を細め、その姿を羨望しているのだ。

全てを捧げる? じゃ、週に7日間、全てあの老健に出勤しているとでもいうのか? 日勤も夜勤も、毎日毎日一人で請け負っているとでもいうのか? 馬鹿馬鹿しい。
仕事が終われば誰かが彼女にお疲れ様、と言うのだろう。同じ職場の人ではなくても、こうして違う病院でも、彼女の頑張りは認められている。承認されている。それだけで充分ではないか。夜は普通に眠る事が出来て、人々から尊敬されて、生きている意義を見いだせている。それだけで、充分ではないか。頑張りは結果となって、給料として彼女の懐に入る。もう、それだけで充分ではないか。

結婚したって、その伴侶が自分という存在を認めてくれる事は一度もなかった。ただ、家事という日々の雑用が一人分から二人分に増えただけの事だ。その後、二人分から三人分。三人分から四人分、と増えていっただけの事だ。子供を作ったのは、自分の責任だ。それでも子供は道端に転がっているわけではなく、どこかのお店に売られているわけでもない。一人では作りようのないものだ。二人の、責任だ。

上田の何気ない言葉は、暫くの間、塔子を苦しめた。普段は蓋をして見ないフリをしている自分の中の汚い感情が、一気に溢れだすような感覚を、塔子は味わった。それは、山奥の小さな湧水のように、初めは小さな流れだったのだ。しかし、久し振りにその蓋を開けてみると、中はどす黒い感情の濁流と変貌していた。蓋を閉めようとした塔子は、誤ってその水面へと落ちてしまう。瞬間、塔子はその濁流に飲み込まれる。助けを求める声も、轟音で、届かない。ただ、その大きな生物の一部となり、体を翻弄されるだけだ。右へ飛ばされたかと思えば、次は左へ。上へ浮き上がったかと思えば、すぐさまそれは深い川底へと高速回転をしながら引きづり込まれる。泣く事さえも、恐怖で出来ない。口の中は、濁った黒い水でいっぱいだ。気を失ってしまいたいのに、意識だけはしっかりとしている。どこか遠くの方で、冷静に見ている自分がいる。今、自分は被害者意識に溺れている。そんな醜い感情の渦でのたうち回る私を、誰が助けようと思うだろうか? 誰が気の毒に思うだろうか? 誰もいやしない。そう、誰もいやしないのだ。

何時間、何日間、その濁流の中にいたのかはわからない。やがて、川は落ち着きを取り戻した。頃合いを見計らって、塔子は岸へと泳ぎ始めた。そして、蓋へと繋がっている鉄製の鎖を手にし、ボトボトに濡れた体を揺らしながら、ゆっくりと上っていった。蓋を開け、なんとか部屋へと辿り着く。重い蓋を引きずるようにずらし、やっとの思いで閉める。ちょっとやそっとでは開かないように、何重にも鍵を掛ける。そうして、塔子はびしゃびしゃの姿のまま、なんとか現実世界へと帰って来た。彼も母も子供達も病院の人達も、誰も塔子がびしゃびしゃに濡れたままの姿である事には気にも留めなかった。それでいい、と塔子は思った。今までだってそうだったのだから、これからだって、そうだろう。

以前、上田から渡されたパンフレットの束を、塔子は取り出した。ここは、ダメだった。ここも、ダメだった。まだ面談に行っていないパンフレットは、結局後一枚だけになってしまった。塔子はそれを抜き出し、中を広げる。ラストだ。もう、ここでラストなのだ。全ては無駄な努力、無駄な時間の浪費だった。家事をしていても、仕事をしていても、育児をしていても、ただ眠っている時も、いつもいつも母の介護の事が気になっていていた。母の今後を。逃れられない運命を。果たさなければならない責任を。長い道のりだった。どれだけの犠牲を、このために払ってきただろう。次で最後だ。ここに賭けるしかない。塔子は祈るような気持ちで受話器を取った。


「母の入院生活」カテゴリ



↑↓いつもありがとうございます
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
にほんブログ村

いつも最後まで読んで下さって、ありがとうございます

しろ☆うさです

今回のおはなしは、「母の入院生活」シリーズです。23話目ですね。

いつものように、暗い小説ですが(笑)、今回は暗いよりももっと凄まじいというか……行き着くとこまで行っちゃったね、って感じです。

被害妄想?もここまで行くと、凄味があるよなーって感じです(笑)。

今回は、正にその被害者意識、に視点を置いて書いてみました。

この意識がどこへ向かっていくのか、というのは、まだまだこれから先のおはなしです(笑)。おはなしの最終辺りで繰り広げられるネタの前振りとでもいいましょうか……(笑)。

あ、それを本当に書くか書かないかは今はまだわからないけど

そこまで書けたらいいな、とは思っています

いつもお越し下さる方、そしてランキングや拍手などを押して下さる方、本当に心から感謝しています。

ありがとうございます!

来週はどうだろう……書けるかなぁ!?

しろ☆うさでした~~(^^)/~~~



↑↓いつもありがとうございます
にほんブログ村 介護ブログ 介護と育児へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿












トラックバック

この記事のトラックバックURL:

 |   |