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vol.8 見知らぬ女医の叱咤

後ろの座席に娘の沙耶を乗せる。前の座席に息子の海斗を乗せる。そして、自分もサドルに腰かけ、塔子は勢いよく自転車を走らせる。
またねー。バイバイ、など、すれ違う知り合いに声をかけながら、幼稚園を後にする。

後ろの席で、幼稚園の制服を着た沙耶が、楽しそうに話しかける。今日は○○ちゃんと遊んだの、だとか、○○くんは今日はお熱でお休みだったの、みたいな内容だ。
そっかー、楽しくてよかったねー。○○くん、早くよくなるといいねー。などと返事を返しながら、塔子はペダルをこぐ。

秋風が三人を優しく包む。おしゃべりな沙耶の声が陽気に弾む。海斗は小さな手でぎゅっと自分専用のハンドルを握っている。柔らかな産毛が陽に透けて、サラサラと揺れる。彼はご機嫌なのか、小さく歌を歌っている。なんの歌かはわからない。そもそも、まだ簡単な単語しか話せないので、多分歌なのだろうな、というレベルだ。背後から聞こえる娘の明るい話声と、ゆっくり首を傾げながらのんびり歌っている息子に挟まれる形で、塔子は自宅へと自転車を走らせる。

沙耶の知ったかぶりでとんちんかんな話に、声を上げて塔子は笑う。
海斗のまっさらで清潔なうなじが、歌に合わせて左右に揺れる。

これ以上の幸福ってあるのだろうか? と塔子は思う。

やがて、自転車は自宅の前に着く。塔子は自転車を停め、息子を降ろし、次に娘を降ろした。その電話は、二人を降ろした瞬間に、塔子の鞄の中で鳴り響いた。塔子は慌てて自転車を道路から自宅の敷地内に移動させ、鞄をまさぐって電話を掴んだ。そこには見覚えのない番号が表示されている。一体、誰だろう? 危ないから道路に出ちゃダメだよ!と塔子は子供達に叫んでから、電話に出た。閑静な住宅街とはいえ、夕方ともなると、交通量は増えるからだ。

「はい。もしもし?」
「こちら、○○病院の、私、豊井と申しますが、鈴木塔子さんでしょうか?」
「そうですが」
「田中京子さん、あなたのお母様、今こちらで入院されているのをご存知でしょうか?」
「はっ!?」
そんな話、なにも母から聞いていない。確かに母は昔から病弱で、よく入退院を繰り返している。しかし、今回の入院について、塔子は母から事前になんの話も聞かされてはいなかった。
電話の向こうの若い女の声が一瞬、聞こえなくなり、やがて大袈裟な溜め息が聞こえてきた。

「あなたのお母様、三日前からこちらに入院されているんですよ。付き添いもなくお一人で来られたようで。私、今、お母様の担当をしている医師です。事務処理や持ってくる物の説明やサインなども必要なので、今すぐこちらにお越しください。事務側も担当の看護師も、あなたが来ないので大変困っているのです。私が代表であなたにこうして電話を……」

車のクラクションが高らかに響いた。振り返ると、沙耶と海斗が敷地内を飛び出して、道路でキャッキャッとふざけあっている。塔子は血の引く思いで駆け出し、二人を玄関の方へ押しやりながら、こら! 道路で遊んじゃダメって言ったでしょ! と叱った。二人はシュン、となったが、今度は庭をバタバタと走り出した。塔子は鞄から鍵を取り出し、玄関扉を開けて、早く中に入りなさーい!と叫んだ。もうちょっと、もうちょっと遊ぶの! と言って、二人は笑顔で庭を走り回った。

「あ、お話の途中でごめんなさい。つまり、入院の準備をしに来てほしいって事ですね。もちろんお伺いしますけど、今日はもう行けそうにないので、明日に行きます」
「明日の何時ですか?」
「そうですね……上の子供を幼稚園に送ってからなので、10時には着くかと思いますが」
「必ず、ちゃんと来て下さいよ。ほんとに……あなた、自分の母親を放っておくなんて、どれだけお母様に対して無関心なんですか。お母様の症状、これから気をつけなければならない注意事項、食事の管理なども合わせてお教えしますから、必ずお越し……」

「お母さーん!! 海斗が転んじゃったよー!!」
沙耶の声が響いた。続けて、海斗の泣き声が響いた。膝から血を流して泣きじゃくりながら、二歳の海斗は塔子の方へと両腕を伸ばす。抱き上げて、慰めてもらいたいのだ。塔子は庭の隅にある水道でハンカチを濡らし、海斗の膝にそっと当てた。そして右肩に電話を挟んだ姿勢で海斗を抱き上げ、左腕におしりが乗るように移動させた。

「もしもし? 何度も中断してすみません」
ハアー……と聞えよがしな溜め息が聞こえる。
「……もう、いいです。あなたじゃお話にならないけれど、身内があなたしかいないっておっしゃるものだから。明日、印鑑をお忘れにならないように。では!」

それが、塔子と豊井という若い女医の、初めての会話だった。




しろ☆うさです
いつもありがとうございます。



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