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vol.76 母の入院生活 18

介護タクシーはゆっくりと街中を走った。彼の運転のスピードと比べると、それはまるで雲泥の差だった。やがて車は先日に面談に来た医療法人の老健へと辿り着いた。北山は慣れた手つきで固定を外し、車椅子に乗った母をタクシーから外へと運び出した。
「何時くらいに迎えに来ようか?」
「そうですね。だいたい1時間くらいは掛かるかと思います」
「じゃあ、それくらいになったら、また来るからね。その車椅子は使っていて大丈夫だから」
「わかりました」
「ここ、いつも面談長いんだ。1時間では終わらないと思うよ。でも、万が一早く終わったら、さっき渡した名刺の携帯番号の方に掛けて来て。すぐに来るから」
「わかりました。ありがとうございます」
「頑張ってね」
北山に頭を下げ、塔子はおもむろに車椅子を押し始めた。もし、この面談に落ちたら、母はどうなるのだろう? 自分はこの先、どうなるのだろう? 塔子の胸にぐっと不安が押し寄せた。ダメだ。まだ始まる前から、未来を心配してどうなるのだ。まだ、これからが本番なのだ。憂いは落ちてしまってからでも遅くはない。取り敢えず、中に入ろう。車椅子のレバーを握りしめる手が、緊張で冷たくなっているのに塔子は気付いた。

そこは医療法人の介護老人保健施設で、最寄駅より徒歩20分のところだった。入所出来る利用定員は90名。通所は30名だった。鉄筋コンクリート造4階建てで、部屋は主に4人部屋だが、個室も5室ほどあった。
塔子は車椅子を押しながら中に入った。入ってすぐにある受付で、母の名前と自分の名前を告げた。少しそこでお待ちください、と言われ、ロビーのソファを勧められた。塔子は車椅子を押しながら、ソファに向かった。車椅子をソファの横に置いて、塔子はそこに腰かけた。塔子はそこで改めて隣に座る母の方へと、チラッと視線を走らせた。母は憮然とした表情を浮かべ、視点の定まらない目付きで、どこか遠くの壁の方を眺めていた。何か、声を掛けようか。塔子は迷った。一体、何を話せばいいのだろう。私は母に、一体なんと声を掛ければいいのだろうか。面談、頑張ろうね。なんだか、違う気がする。頑張ったって、頑張らなくたって、受かる時は受かり、落ちる時は落ちるのだ、多分。何かを言おうとしても、何を話せばいいのか、全くわからない。それで塔子も母にならって、ただ前方の壁を見続けた。クリーム色の壁と、自分の思考がマーブル模様のように混じり合う。私は、今ここで何をしているのだろう? 私は、果たしてここにいるべき存在なのだろうか?

「塔子」
意外にも、沈黙を破ったのは母だった。
「……えっ?」
塔子はハッと我に返り、慌てて母の方へ向き直った。
「ごめん。何か言った?」
「ここって……どこだっけ?」
「……前にも言ったじゃん。老健だよ。今日は面談だって前に説明したでしょ」
「そうだったっけ」
母は奇妙な顔を浮かべた。車椅子の中にいる母は、まだ50代とは到底思えないほど、老けて見えた。
「そう、面談。お母さん、頑張らないとね」
「……ここって……ワタクシリツ?」
「はっ?」
「ほら、よく言うじゃない……イチリツとか、ワタクシリツとかって……。どっちかなと思って」
「あぁ……あぁ……そういう意味合いで言うなら、私立になるかな」
塔子は思わず吹き出しそうになりながらも、なんとか堪えて普通の声のトーンで応えた。私立と、市立。今更、母は何を心配しているのだろう。今いるリハビリ医院だって、そういう意味なら私立になるのに。きっと、お金の事を心配しているのだ。そんな事、今更なのに。ずっと母の入院代を払っているのは塔子なのに。ずっと母の生活を支えてきたのは塔子なのに。何を今頃になって心配しているのだろうか。塔子は母の口から飛び出した意外な単語に、可笑しさ半分、蔑んだ気持ち半分でフッと笑った。

やがて、先日の面談とは違う人が塔子の前に現われた。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
塔子は頷き、車椅子を押して後に続いた。先日の応接室とは違い、一番奥の会議室のような広い部屋へと通された。向かい合って座り、塔子は改めて目の前の人に視線を向けた。男は歳若く、まだ20代後半か、30代の前半くらいに見えた。彼が差し出した名刺には、以前の女性相談員と同じ肩書が付いていた。男は挨拶を済ませると、度々書類に目を通しながら、母に質問をした。耳の聞こえの良い日と悪い日がある母だが、今日は偶然にも聞こえが良いため、すんなりと質問に答えた。しばらくして中年の男性と女性の二人組が現われ、彼らもまた母に質問をし、女性の方は身体の状態を調べるために、軽く母の手や足に触ったりした。やがて二人は去り、相談員の男のみが残った。
「鈴木さん、どこか他の施設にも面談、行かれてます?」
男が不意に塔子にそう言った。
「え……・? どこも行っていません。ここが初めてです」
「この診療情報提出書、日常生活動作状況の書類、お返ししますね。これ、もし次の面談に行かれる場合にも必要になってくるんで。何度も作成せずに、皆さん持ち回りなんですよ」
「あ……そうなんですか」
「では、後日結果を連絡させて頂きます。今日はお疲れ様でした」
男が不意に立ち上がった。塔子も慌てて立ち上がり、ありがとうございました。よろしくお願いします、と頭を下げた。男が先導に立ち、ドアを開けた。塔子は車椅子を押しながら、男の後に続いた。
「では、これで。失礼します」
廊下に出た男はそう言うと、会議室のすぐ向かいにある開け放たれたままの賑やかな部屋へと入って行った。そこからは数人の話声がわいわいと賑やかに聞こえて来る。
「あー! それ、私が食べようと思ってたのにー!」
「……でさ、さっき○○が言うには、またあの爺さん、自分でオムツ、外しちゃったらしいんだよ」
「昨日、あのテレビ観たぁ? 面白かったよね~」
「なんだよ、それー! ワーッハッハ! ワーッハッハ……」
どうやら休憩室らしい。塔子はその前を車椅子を押しながら通り過ぎた。ドアは開け放たれたままなので、嫌でも中は丸見えだった。中では歳の若い男女四名ほどが、各々クッキーを口いっぱいに頬張りながら、キャーキャーと楽しそうに談笑していた。塔子は足早にその前を通り過ぎた。何故か、不意に車椅子が重くなったような気がした。

玄関ロビーを出ると、すでに北山は来ていた。
「お疲れ様。どうだった?」
北山は塔子の手から車椅子を離させ、車体を低くしておいた介護タクシーの中へと運び込んだ。
「はい……。なんだか、疲れました」
「それはそれは。大変だったねぇ。さ、車を出すよ。シートベルトをして下さいね」
塔子は言われるがまま、シートベルトを付けた。隣に座る母を見ると、母も疲れたのか目を閉じている。車は来た時と同じように、ゆっくりと進んだ。振動もなければ、音楽もない。静かな空間で、塔子は自分の頭が混乱しているのを感じた。書類を返されたという事は、落ちたという意味なのだろうか。仮に入ったとしても、あんな所に母を預けてよいのだろうか。先日の面談、今日の面談、全て無意味だったのだろうか。今日はこれから母を病院に送り届けてから幼稚園に行くけれど、やはり小学校へも沙耶を迎えに行った方がよいのだろうか。ここで決まらなければ、一体私は何回この面談を繰り返さなければならないのか。その度に、子供達に迷惑をかけてしまうのか。思いはぐるぐると弧を描き、永遠に答えの出ないまま、回り続けるのみであった。

母の入院するリハビリ病院に着くと、塔子は北山にタクシー代を払った。北山は領収書を渡しながら、塔子に車椅子を持って来るようにと言った。病院から車椅子を持って来ると、北山は初老とは思えぬ慣れた手つきで、大柄な母を移動させた。
「じゃあ、また何かありましたら、連絡下さい」
「はい。また何かありましたら、こちらこそよろしくお願いします」
塔子がそういうと、北山は笑った。塔子もつられて少し笑った。

数日後、ソーシャルワーカーの上田から連絡が入った。面談に落ちたから、次のアポイントを取って下さい、との事だった。


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しろ☆うさです

今回のおはなしは、「母の入院生活」シリーズの続きです。

なんだかんだで18話目です。

あ、毎度の事ですが、まだまだこのシリーズ、続く予定です……(笑)。

このシリーズは、書きやすいです。ネタもオチ?も出来上がっているものを書いているだけなので。

あ~でも今回のオチ、以前のこのシリーズでも似たような感じのものがあったような気が……(笑)。

申し訳ないですね。もうこういう感じの落とし方は今後控えたいなーとは思うのですが……どうだろ(笑)。まだあったりして(笑)。

えーっと。内容に関してなんですが、別に特定の何かを非難している、とかそういった類いではないので、あしからず。

一応、小説だと思って読んで下されば幸いです。

楽しい小説じゃありませんが(笑)。

さぁ、次回は1話読み切りの方です。

ふぅ……( ̄ー ̄) いつも悩むのよー。ネタも、タイトルも(笑)。

まぁ、未来の事をあれこれ思い悩むのはバカらしいので、時期が来たらそのうち思い付くでしょう~。

いつも訪問して下さる方、拍手やランキング等を押して下さる方、ありがとうございます。感謝しています

しろ☆うさでした~~ヾ(o´∀`o)ノ



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