FC2ブログ
<< vol.72 母の入院生活 16 :: main :: vol.70 母の入院生活 15 >>

vol.71 犬も食わない

きっと、それは些細な事だ。他人から見ればちっぽけな話だと、ひとしきり笑われるかもしれない。逆に、失笑されるかもしれない。塔子の場合もそうであった。一番の親友だと思っていた大切な友達から、鼻で笑われ、軽く受け流された。

彼女を恨んではいない。今でも大切な友達に変わりはない。大好きで、これからも付き合っていきたいと思っている。それでも、塔子はその時、ひどく傷付いたのだ。わかってもらえない苦しさで、どうしてよいのかわからなくなった。

それから塔子は彼女に一切彼の事を話さなくなった。それでいいのだ。誰かにわかってもらおう、なんていう甘い考えが、事の発端なのだ。何も言わなければいいのだ。人はそれぞれ、その人にしかわからない苦しみを抱えて生きている。苦しみを共有しようとした、自分が馬鹿だったのだ。息を潜めて、ただ心の内にあるおぞましい感情を、沈めてしまえばいいのだ。それが大きく膨れ上がり、臨月を迎えて吐き出される時が来るまで、ただじっと息を潜めていればいい。
産み落としたその感情は、親友に向かって投げつけるのではなく、彼と未来の自分自身に降りかかるのみだ。

彼女は塔子の結婚式にも来てくれた。初めての子供が生まれた時も喜んでくれた。生まれたらすぐに連絡してね!一番に駆けつけるから!と彼女はそう言ってくれた。その言葉を鵜呑みにした塔子は、子供が生まれると早速彼女にメールをした。返信はすぐに届いた。
「おめでとう! 孫が出来たみたいに嬉しいです。お祝に行きたいけど、あいにく今はデート中! 退院したらまた連絡ちょうだいね~」
そうか。デート中ならば仕方がない。塔子はそっと携帯を閉じた。今まで経験をした事がないほどの痛みを味わっていたあの瞬間、彼女はデートを楽しんでいたのだ。まだ独身だし、そりゃ塔子の出産より彼氏とのデートの方が大事だろう。納得出来る。自分も逆の立場だったら、普通に同じ事をしているだろう。

退院後、母が珍しく三日ほど泊りに来て、あれこれ世話を焼いてくれた。星の数ほどの愚痴を言いながらも、母は母なりに役目を果たした。母が帰っても、塔子の体は一向に回復しなかった。三時間置きの授乳。大人の洗濯と赤ちゃんの洗濯。食事の用意。塔子に出来るのはそれだけで、それもやっとの思いでこなし、後はひたすら横になっていた。高齢出産でもないのに、自分でも何故こんなに体調が回復しないのか、不思議だった。何もしていないのに、体重がひたすら落ちていった。赤ん坊のオムツを替えた後、思いついた時に体重計に乗ってみる。一日にちょうど1kgずつ落ちている。ただ横たわっているだけでこんなに痩せていくのは気味が悪かった。

そのうち塔子は買い物にすら行けなくなってしまった。買い物に行かなければ、彼の食事の用意が出来ない。自分も日中食べる物がなくて困る。塔子は彼の帰宅を待ち構え、彼に赤ちゃんを預けて近所のスーパーに買い物に行くようになった。塔子の持っているベビーカーは生後三カ月未満は乗れない仕様になっていたので、抱っこひもで沙耶を体に密着させて買い物に行っていたのだが、それすらも出来ないほど弱ってしまったのだ。そんな日がしばらく続くと、彼は不満を爆発させた。
「最近、掃除が行きとどいていない! 食事も手抜きばかり! 帰って来たらいつもダラダラと寝てばかりいる!」
彼の不満は止まらなかった。
「オレの知っている友達の嫁達は、皆もっとしっかりしているぞ! 怠けているのは、お前だけだ! 子供の事もどうせ日中放ってるんだろう!」
彼も彼なりに、子供が生まれた事で急に変わってしまった環境の変化に、気持ちがついていかなかったのだろう。それでも、彼は夜になれば、ぐっすりと眠る事が出来る。一方塔子は夜だろうが朝だろうが、そんな事は関係なく、三時間置きの授乳のサイクルで生活しなければならない。子供がある程度まとまった時間寝てくれるようになるまで、ずっと不眠が続く。休憩はない。それはひたすら成長を待たなければならない、試練の時なのだ。

もし、彼が帰りに買い物をしてくれる優しさの一つでも見せてくれていたならば、たまには代わるよ、と夜の授乳を引き受けてたった一日でも寝かせてくれたならば、否、いっそ何一つしなくてもよい。ただそういった素振り、気遣い、労いの言葉をただの一度でもかけてくれていたならば、塔子の気持ちもかなり違っていただろう。彼にはそういった気配すらなかった。ただただ自分を構ってほしいだけだ。自分を中心に回らなくなってしまった苛立ちしか見えなかった。一家の主として、というよりも、一人の人間として、他者への気配りや感謝の心という当たり前の感情すら失っていた。元々、なかったのかもしれない。

彼の暴言を受け止め、塔子は黙って家を出た。夜遅くまで開いているスーパーへ向かって歩き始める。夏の夜は陽気さをまだ失ってはおらず、どこからか蝉の鳴く声がした。一体、なんのために、私はこんな夜中に一人で、一人きりで、家族のために痛む体に鞭打って歩いているのだろう。何故彼は、私の体の心配をしてくれないのだろう。何故彼は、己の精神の未熟さに気付かないのだろう。泣いてはいけない。泣いたら負けだ。一度泣いてしまうと、きっとそれは止まらなくなる。自分を一度でも可愛そうだと思うと、きっとそれは歯止めが効かなくなる。耐えるんだ。体の不調も、涙も。その時、不意に塔子の携帯が鳴った。

「もしも~~し? 塔子ちゃん、元気~~?」
それは親友からの電話だった。塔子は一瞬、言葉に詰まった。
「……うん。元気にしてるよ……」
そういうのがやっとで、塔子はその後黙りこんだ。彼女は塔子の異変に気が付いたようだった。
「元気って! 全っ然元気そうな声じゃないよ! 一体、どうしたの? 何があったの?」
「……うん。実はね……」
電話を持つ手を震わせながら、塔子は彼の非情さを語った。明るい彼女はけらけらと笑った。
「そんなの! 本気で言ってるわけじゃないよ~」
「……えっ?」
「だいたい、独身の私にそんな話をするなんて、おかしいよ。ねぇ、塔子、知ってる? 夫婦喧嘩は犬も食わないってことわざ。私からすれば、ただのノロケにしか聞こえない~」
「……そっか。そうだね……」
夏の夜特有の匂いがする。後少し、後少しでスーパーの明かりが見える。がくがくと震える膝を摩りながら、塔子は夜道を歩く。誰にも、本当の事を言っちゃいけないんだ。きっと、誰しも知っていて、自分だけが知らなかったのだ。電話を終え、買い物を済ませると、塔子はやっとの思いで帰路に着いた。

「遅かったな」
玄関の前で、彼は赤ちゃんを抱っこしたまま、仁王立ちで立っていた。
「何してたんだ?」
「N子から電話が掛かってきて。ちょっと喋ってたの。遅くなってごめん。でもなんだか……スッキリしたよ」
「スッキリしたって……お前、自分の子供を放って出て行って、友達と電話なんかしていたのか! 本当にどうしようもない母親だな! どうせオレの悪口でも言って笑っていたんだろう!?」
「ちが……うん。そうだね。言ってたよ。わかってもらえなかったけど、言ったらちょっとはスッキリしたかな……」
「本当に! お前は汚い人間だな! 影でこそこそオレの悪口を言うなんて、最低の人間だな、お前は!!」
彼は急に真っ赤になって怒り、塔子の鼻先で玄関のドアをバタン!と閉めた。塔子は閉めだされてしまったのだ。

外出中に出会う、見知らぬ女達。亭主の悪口を言い合って、お互いがっはがっはと笑っている。仲が良さそうに連れそう夫婦。威勢よく旦那に物を言い放ち、言われた亭主の方はといえば、うちは女房に頭が上がらないから、と肩をすくめて気弱そうに笑う。お互い、それでも幸せそうだ。
私には、夢の夢だ。そんな当たり前の幸せは、私に用意されてはいなかった。私は誰にも本音を語ってはいけないのだ。親友にも。配偶者にも。

やるせなさを感じながら、塔子は未だ開かれない扉を、自分で開けた。



↑↓いつもありがとうございます
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
にほんブログ村

しろ☆うさです

いつも訪問して下さって、ありがとうございます

今回のおはなしは、一話読み切りです。

最近、続きもの、やらなくなったなぁ。「母の入院生活」以外で。

ま、いっか(笑)。ネタが思いつかないから、という事で(笑)。

あ……でも書きかけの続きもの、残ってますね。「母の思い出」とか、「根なし草」とか。未完ですね。

一体、いつ書くのやら(笑)。

「母の思い出」シリーズは、たま~~に気が向いた時に書く程度でいいかぁ~~って感じで放置してまして。ネタが思いつかないのもあるのですが(笑)。

「根なし草」の方は、取り敢えず「母の入院生活」を全部書き終えないと書けないので(その後のおはなしなので)、やっぱどちらにしろしばらく放置ですね。

なので、最近、一話読み切り系が多いのです(=∀=)

今回のおはなしも、結構あれですよね……。キッツイですよね。

内容に関してはツッコミたい箇所が満載なのですが(「彼」にも「塔子」にも)、今は何も語りません。

小説の体をなさないからね。

文体云々より、内容ありきで進めたいので、これを小説のカテゴリーに入れていいのやらどうやら……ですが(笑)。

いや~~しかし、今回はタイトルが思いつかなくて! たまにあるんですよ、全く思い浮かばない時が。

今回も結局書き終えるまで、題名すっからかんのままでした(笑)。で、悩んでも結局思いつかなくって、本文のことわざの一部を題名にしました。

安直~~~ぅ(笑)!

実は前々回の「三つ巴」もそうです。最後まで空っぽのままで、本文の文末の一部を持ってきた次第です。

今、私、題名スランプなのか(笑)!?

ま、タイトルにそんなに力を注いでいるわけではないので……いっかぁ~~。

いつも訪問して下さる皆様、そして拍手やランキングをポチっとして下さっている方、本当にいつも感謝しています。ありがとうございます!!

しろ☆うさでした~~.゚+.(・∀・)゚+.



↑↓いつもありがとうございます
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿












トラックバック

この記事のトラックバックURL:

 |   |