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vol.61 理由を知りたがらない人

彼と結婚する前、塔子は一度彼と別れようとした事がある。度重なる数々の行き違い、彼の顔色を窺う事への疲れ、それは我慢の限度を越え、もう辛抱しきれなくなったのだ。

塔子が別れを切り出すと、彼の顔は引きつり、明らかに狼狽した。その一瞬のショックが通り過ぎると、彼の表情はみるみる悲しみに変わった。彼は全身で落胆を、苦痛を、表現した。がっくりと肩を落とし、悲壮感を狭いワンルームいっぱいに漂わせた。打撃にはめっぽう弱いのだ。
「……わかった」
彼は長い沈黙の後、そう呟いた。そして項垂れていた顔を急にぐっと上げ、視線を泳がせながら、言った。
「お前がそう言うなら、じゃあ、別れようか」
塔子の方を見ようともせず、彼はどこか空間を見つめながら、早口に呟いた。先程の気弱な発言とは打って変わって、今度の口調には怒りが含まれているようだった。
「お前が。お前がそういうのなら、じゃあ、別れようか?」
黙っている塔子に覆いかぶさるように、彼は同じ言葉を口にした。
「ねぇ。なぜ私が別れ話を始めたか、理由を知りたいとは思わないの? 理由を知って、関係を修復しようとは思わないの?」
塔子はそう言うのがやっとだった。元々、彼は高圧的で、塔子の意見をまともに聞いたためしがない。たまに塔子が彼を責めるような流れになると、話をうまくすり替えたり、逃げたり、笑って誤魔化したり、逆に塔子を責めたりした。言われている内容に耳を傾ける事が出来ないのだ。自分は他人から責められている。自分は攻撃されている。内容云々よりも、攻撃されている状況の方が気に掛かり、意識がそこへしか向かなくなるのだ。攻撃をされたなら、反撃に出なければならない。彼の思考は、そういう風に結びついているらしかった。
「別れたいんだろ? じゃ、別れたらいいじゃん。それだけ、だろ?」
彼は今や完全にふてくされ、自分が相手から攻撃されている被害者の仮面を付けた。否、仮面ではない。彼は心底、自分が攻撃を受けている被害者であると固く信じているのだ。
「じゃ、オレ、行くから」
珍しく塔子のマンションに遊びに来ていた彼は、不意に立ち上がり、玄関に向かった。
「あ……」
塔子は後を追った。彼は背中を向けたまま靴を履き、背中を向けたまま、呟いた。
「お別れだな。元気で」
後ろ手でドアを閉めて、結局彼は理由を聞かないままに出て行ってしまった。塔子の目の前でバタン、とドアが閉まった。塔子は玄関でくずおれ、そのまま激しく泣き始めた。涙は後から後から、頬を伝った。声を挙げて、泣いた。泣いても泣いても、涙はとめどなく溢れた。とうとう、自分は独りぼっちになってしまったのだ。何も言いたい事が言えず、相手にも伝わらず、そしてまた、独りぼっちに逆戻りだ。始終入退院を繰り返す、母のお守だけが残るのだ。始終お金を無心に来る、母の世話だけで終わるのだ。私が我慢さえすれば、こんな事にはならなかった。私がもう少し強ければ、独りぼっちになる悲しみを味合わなくて済んだのだ。彼と共に過ごした時を思った。確かに、辛い事だけではなかったはずだ。楽しい時も過ごした。笑いあった時もあった。そして今、私は一瞬で、その幸せだった時間を捨てたのだ。あの数々の煌めきを、一瞬で私は捨て去ったのだ。自分の手で。あっけなく。これからは、また仕事と母の尻拭いだけの人生が始まるのだ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。耐えられない。耐えられない。耐えられない。玄関の冷たい床の上に突っ伏したまま、塔子は激しく泣いた。泣いても泣いても、結局自分は独りなのだ。これから、ずっと。

それからの一週間、塔子は重く沈んだ気持ちのまま、過ごした。有難い事に、仕事は山のようにあり、会社に行っている間は、悲しみも少しは和らいだ。だが仕事を終え、家に帰ってしまうと、嫌でも自分の中の空虚さを、意識しないわけにはいかなかった。テレビを観ても、本を読んでも、救われない。何を食べても、味がしない。友達は皆、失恋した塔子を慰めて励ましてくれたが、塔子の気分が上がる事はなかった。きっと、自分は「彼氏」を失くしたんじゃない。既に塔子はこの時薄々、そう感じていた。彼は、私の「彼氏」だったわけじゃないのだ。彼は私の唯一の「希望」だったのだ。どん底から私を救ってくれた、唯一無二の救世主だったのだ。信頼出来る親ではなかった、その身代りだったのだ。私の、全てだったのだ。

今なら、まだ、やり直せる。やり直せるかもしれない。一週間悩んだ末、塔子は立ち上がった。孤独にはもう、耐えられなかった。彼の人格を我慢する方が、この空っぽな心のまま生きて行くより、百倍マシだと思った。彼を失う事が、自分にとっては何よりも耐えがたい事がよくわかった。父親に捨てられたあの空虚さと、母親に裏切られ、それでも養っていかなければならない空虚さと、彼を失う事は同等の意味を持つのだ。それに、今度は彼も塔子の話なり意見を、聞いてくれるかもしれない。きっと、自分の言い方が悪かったのだ。今なら、まだ間に合う。塔子は走った。父は、それまで家族として築き上げたものを、一瞬のうちにして壊した。今度は盗られたくない。もう二度と、自分の大切なものを、誰かに盗られたくない。

突然やって来た塔子に、彼はびっくりしたようだったが、それでも優しく部屋へ招き入れてくれた。塔子は必死で別れを切り出した理由を告げようとした。ここを乗り越えなければ、また何度も同じ事を繰り返すのは、目に見えていた。
「いいんだよ」
彼は微笑みながらそう言った。
「この一週間、オレは本当に辛かったよ。でも、もういいんだ。何も言わなくていい。こうやって塔子がオレの元に帰って来てくれたんだから」
「違うの。理由を聞いて欲しいの。ちゃんと。そうしないと、また同じ事で……」
彼はシッと人差し指を口に当てた。
「何も言うな。もう、いいんだ。お前は帰って来たじゃないか。もう、何も言うな」
彼は優しく塔子を抱きしめた。塔子は言いたい事を、またもや胸の奥に仕舞い込んだ。聞く気がないのだ。この人は、そもそも聞く気がないのだ。理由なんて、知りたいとも思っていないのだ。わかってもらえない悔しさで、塔子の喉はヒリヒリと痛んだ。言えなかった言葉が、心の奥底に、まるで泥のように溜まっている。やっとの思いで喉元まで出かかっても、無理矢理にそれを奥に押し込まれる。なぜ、私は発言すらさせてもらえないのだろう。なぜ、この人は理由を知ろうともしないのだろう。

それでも。それでも、私はもう、独りじゃない。彼を取り戻したのだから。



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いつも最後までお読み下さり、ありがとうございます

しろ☆うさです

今回は、一話読み切りのおはなしとなっております。

「モラハラ」に付き物?なのが「共依存」。

今回は、そんな「共依存」について、書いてみました。

いや、今までもチラホラそういう匂いを漂わせていたと思いますが(笑)、今回は完全にドバッと出し切ったというか、その部分を表立って、そこを主体的に書いたと申しますか。

まぁ、いつものごとく、小説なので、書き手の意見は何も入れていませんが。

書きながら、う~~ん それってどうよ? って思ったりもしました(あえてどちらにとは言いませんが)。

誰が悪い、いや、こっちが悪い、と口にするのは簡単ですが、現実悩んでらっしゃる方を思えば、容易くは口に出来ません。

そんなこんなの「共依存」。ここまで強烈な共依存じゃなくても、人間多かれ少なかれ、ある程度の依存性ってあるとは思うんですよね。

なので、ある程度は共感してもらえる部分もあるんじゃないか……と。甘いですかね(笑)?

今回は重いテーマながら、意外と書きやすかったです。珍しくスラスラと書けました。

だからって質が良いとは限りませんが(笑)。

いつもご訪問下さる方、そしてランキングや拍手などを押して下さっている方、心より感謝しています

しろ☆うさでした~~(^O^)/



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