FC2ブログ
<< vol.58 母の入院生活 9 :: main :: vol.56 母の入院生活 8 >>

vol.57 震える父 3

毎日目にしている物は、やがて見慣れてその価値の真意を考えない。あって当たり前。自分の手中に納まっていて当然。普段は気にもしない。確かにそれを深く愛していて、愛の嵩は少しも減ってはいない。だが、改めてそれについて考える事はしない。その対象がたとえ人間であっても、同じだ。

それは不思議な感覚であったが、心の奥の奥、どこか片隅で、搭子は子供達を自分の身内に会わせてみたいという、小さな願望のようなものが芽生えたのだ。その感情がどこから来て、どこへ向かおうとしているのかは、わからない。しかし、それは不意やって来て、当たり前のように搭子の胸の内に住み着いてしまった。

しかし、確実に警告をも鳴らす。父に同情をしてはならない。近付いてはならない。それは自己防衛のように、激しく鳴り響く。轟く。塔子は目を背けた。もう、決めたのだ。

雨上がりの五月の空は、優しい光のシャワーを、黒々と濡れたアスファルトに降り注いだ。生まれたばかりの海斗は、抱っこホルダーの中でスヤスヤと気持ち良さそうに寝息を立てている。陽射しの祝福を受けた小さな頭は、うっすらと生えている産毛を黄金色に染める。二歳になったばかりの沙耶は、はしゃぎながら塔子に手を引かれて歩いている。家の中にいるのが嫌いで、外出が大好きな沙耶は、塔子の手をサッと振りほどき、急に走り出したりするから、目が離せない。お外は車が通るから危ないんだよ。ちゃんと手を繋いでいようね、と言っても、沙耶は全く聞く耳を持たなかった。今まで一人っ子で甘えたいだけ甘えられた環境から、不意に弟が家にやって来たのが気に食わないようで、近頃沙耶は手のつけようがないほど暴れまわるようになった。一度はトレーニングが成功して外れたオムツも、また再びおもらしをするようになり、オムツに逆戻りしてしまった。日々の三時間置きの授乳でほとんど眠れていない塔子に、沙耶は何の悪気もなく、一日中公園で遊ぶ事を要求した。朝、ご飯を食べて洗濯と掃除が済むと、もう公園へ連れて行ってもらえるものと思い、玄関の前で早く! 早く! と待っている。準備をしていざ公園へ出掛けると、なかなか帰ろうとはしない。海斗の次の授乳があるし、沙耶にも昼食を作らなければならない。もうお昼だよ、帰ろう、と促しても、何度も何度も促しても、沙耶は帰ろうとはしなかった。一緒に遊んでいた友達が、ママに連れられてバイバーイ、と帰ってしまっても、公園内を見渡しても、もう辺りには誰一人いなくなってしまっても、沙耶はずっと公園に留まる事を要求した。ずっと沙耶の要求をきくわけにもいかず、最後は泣き叫ぶ沙耶を右手に抱え、左手で眠っている海斗のベビーカーを押しながら帰る毎日が続いた。
毎日、毎日、続いた。

「ねぇ、赤ちゃん、いつまで沙耶のおうちにいるの?」
そう、真顔で尋ねられて、びっくりした事もある。ずっとずっと、これからずーっと一緒に仲良く暮らすんだよ、と言っても、沙耶は納得しなかった。
授乳していると、ずるいー! 沙耶もー! と叫んで、空いている方の胸に飛び込んで来るかと思えば、近所の家に上がり込んで、何度お迎えに行っても帰ろうとはしなかった。
睡魔と闘う毎日の中で、塔子は徐々に沙耶に対して、愛情が薄れていくのを感じた。これが一生、続くわけじゃない。長い人生の、ほんの一瞬の出来事にしかすぎない。頭ではそうわかっていても、冷めて行く感情は、どうにもならなかった。嫌いになったわけではない。ただ、以前のように100%の愛情を、沙耶に注げなくなっていたのだ。今までなら笑って済ませた沙耶の些細なミスも、いつも眠い状態では、ただただ苛立った。洗濯物を干す、たった10分の間に、部屋中泥棒が入ったかと思うほど、ぐちゃぐちゃにする。ティッシュは全部引っ張り出す。ベランダの鍵は締められ、家の中に入る事すら出来ない。

「あっ」
沙耶がまたするり、と塔子の手から離れ、一目散に走りだした。沙耶! 沙耶! 危ない! と塔子は眠る海斗を胸に抱いたまま、慌てて沙耶の後を追った。沙耶はある一点で立ち止まると、思い切りジャンプをし、着地した。バシャーン! と水飛沫が舞い上がる。沙耶は水溜りを見つけたのだった。
「服、ボトボト」
沙耶は困ったような顔をして、塔子を振りかえった。塔子は情けない気持ちをどうにか隠しながら、ハンカチを取り出して、沙耶を拭いた。
「あのさ。急に飛び出しちゃダメって、何度も言ったよね? ブーブーが来るからね」
「うん」
「それに、公園以外の場所ではお手手を繋いでっていうのも、ママ何度も言ってるよね?」
「うん」
「で、水溜りは長靴を履いてる時にしか、入っちゃダメなんだ。これも、言ったと思うけど」
「うん」
わかったのか、わかっていないのか。沙耶はそれがどうしたの? とでも言いたげに塔子を見つめた。

おそらく、愛の嵩は少しも減ってはいないのだ。ただ、それに価値を見いだせなくなっていたのだろう。眠いのに眠れない毎日。大切な我が子を抱くのにも、邪魔される毎日。エスカレートしていく沙耶の我儘。義母の話相手。義姉の突然の訪問。そして、時折思い出したように金の無心に来る、母。

指定された喫茶店に着くと、父はもうすでに来ていた。こっち、こっち、というように、手招きをしている。塔子が近付いて行くと、父の表情が少しずつ変わっていった。曖昧に浮かべていた微笑みが消えていったのだ。
「お待たせ」
何年も会っていなかった気まずさを感じさせないように、塔子は普通に声を掛けた。塔子の結婚式にも来なかった父が、今、目の前にいる。結婚式に来なかったのは、父の自己都合であって、塔子にはなんら落ち度はない。しかし、その事に対して父が塔子にすまないと思っていて、そういったような態度を取って来るのではないか、と塔子は内心ドキドキしていた。父はあぁ、と小さく呟き、軽く頭を上下させた。視線は塔子を全く捉えていない。塔子は椅子に腰かけ、隣りの椅子に海斗をそっと置いた。沙耶は空いている父の横に座らせた。先程まで浮かれてはしゃいでいた沙耶は、急に無口になり、その席に座る事を拒んだが、そこしか空いてないから座って、と塔子が言うと、しぶしぶそこに腰を落ち着けた。

「……これ、塔子の子供か?」
父は魂を抜かれたような、どこかボウッとした表情で、自分の隣りに座る二歳の女の子を見つめ続けた。
「そうだけど」
「……今、何歳?」
「二歳」
「……よく、生んだな」
「は?」
質問の意味がわからず、塔子は眉をひそめた。向かいに座る父は、塔子を一切見ようとはせず、体を小刻みに震わせながら、ただただ沙耶を見つめ続けた。
「……こんな、まさか……。こんな、可愛いとは……。よく、こんな可愛い子、生んだなぁ」
父はブルブルと震えながら、何かに感動しているかのように、じぃっといつまでも沙耶を見つめ続けた。視線を一切、他には移そうとしなかった。沙耶以外、眼中にはなくなってしまった。

震えが来るほど、容姿端麗な娘を生んだわけではない。確かに可愛いが、それは親として可愛いのであって、傍から見れば、普通のどこにでもいる子供だ。父は感動を隠そうとはせず、沙耶がポロポロと零すケーキのかけらを拾い集めたり、あれを食べるか、これを食べるか、と頻りに世話を焼き続けた。塔子の方を時折思い出したように見て、自分が再婚した事、会社を早期退職して、田舎へ引っ越す事をポツポツと告げた。

帰る頃になると、沙耶はやっと「おじいちゃん」に打ち解け始めた。二人は親密そうに、手を繋いで店を出た。塔子は海斗を抱っこしながら、二人の後ろ姿を不思議な気持ちで眺めた。挨拶をして、父と別れた。あの日以来、父とは会っていない。これからも会う事はないだろう。もう二度と。

だが、あの日を境に、塔子の中で沙耶に対して寛大に接する気持ちが蘇った。沙耶を可愛いと素直に思える感情が戻ったのだ。他人となった身内との関わり合いで、その価値を再認識したのだ。それはまるで部屋に何年も放置したままの、見慣れたガラスの小瓶を不意に誰かに褒められた時のようなものだ。好き嫌い関係なく、そこにあって、当たり前。しかし他者の視線を通して改めてそれを見直し、再評価したのである。


※このおはなしは、「震える父」シリーズの続きとなっております。

震える父 1.2



↑↓いつもありがとうございます
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
にほんブログ村


いつも最後までお読み下さり、ありがとうございます

しろ☆うさです

今回は、「震える父」の完結編です。

一話読み切りを、と書き始めた話ですが、三話まで続いてしまいました

でもおかげ?で、このシリーズで言いたかった事、ほぼ全て注入する事が出来ました

文才がないのはこっちに置いといて(笑)、いつもの事だから(笑)、内容的には力を出し切る事が出来て満足しています

ただの自己満足かもしれませんが(笑)。

ものすごく前の話なのですが、しろ☆うさは「真夜中に走る自転車」が、自分の中ではちょっとマシ?に書けたのではないかと思っておりまして←自分で言うなって感じですが(笑)。

で、そのシリーズでは出だしと結びの文章を同じにしたのです。その部分に情熱を注いだのです。メラメラと(笑)。

そして今回の「震える父」シリーズ。あの「真夜中」の時と同じように、いやそれ以上に、同じ文章を何度も使っていたりします。

くどいくらいに(笑)。

こういう書き方って読み手はどうなのかな???ってちょっと思いましたが、その何度も登場する部分が、今回の一番言いたい部分と重なるので……あえて繰り返し書かせて頂きました。ぺこり(笑)。

いつも訪問下さる皆様、そしてランキングや拍手を押して下さっている方、心から感謝しております

しろ☆うさでした~~(^_^)v



↑↓いつもありがとうございます
にほんブログ村 家族ブログへ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿












トラックバック

この記事のトラックバックURL:

 |   |