FC2ブログ
<< vol.21 息子の骨折 :: main :: vol.19 巡る環境 >>

vol.20 真夜中に走る自転車1

それは、一本の電話から始まった。その電話を取らなければ、あるいは未来は変わっていたかもしれない。後悔だったであろうか? いっそ、その淡い優しさの匂いすらするその感情を味わう方が、塔子の辿った現実の道よりも、いくらかマシだったのかもしれない。
しかし、それは逃れようのない定めだった。悪魔は息をひそめて背後から近付き、黒く不気味な長い手を伸ばして確信的に塔子の髪を掴んだのだ。ギラギラと赤い目を光らせ、それは無数に存在する獲物の中から、確固として塔子を選んだのだ。口元に笑みさえ浮かべながら。

日曜夜7時のファミレスは、行楽帰りや買い物帰りの客で、そこそこ混んでいた。家族四人はしばらく待合室で待たされた後、席に通された。
「何食べよっかな~」
皆でワイワイ出掛ける事が大好きな沙耶は、すでに興奮気味だった。キッズメニューを広げたかと思えば、通常のメニューも気になるようで、そちらにも手を伸ばしてあれこれと思い悩んでいる。小学生になって二ヶ月。キッズメニューが少し幼稚に思えてきたのだろう。
「カイくん、ハンバーガー」
塔子が開けてやったキッズメニューを眺めながら、幼稚園児の海斗は上に目玉焼きの乗ったハンバーグを指さした。指差した写真と塔子を交互に見て、ニッコリと微笑む。
「それ、ハンバーガーじゃなくて、ハンバーグって言うんだよ」
堪え切れずにプッと吹き出しながら、塔子は海斗に言った。おとなしくて温厚な海斗は「うん」とだけ呟き、今度は照れ臭そうにはにかんだ。

やがて、食事が運ばれてきて、四人は食べ始めた。ちょうど食べ始めた頃に、その電話が鳴った。塔子は鞄の中からそれをまさぐり出し、表示されている番号を見つめた。登録している番号ではない。一体、誰だろう?塔子は席を立ち、店の外に出て、その電話に出た。
「そちら、鈴木塔子さんですか?」
「はい」
「こちら、○○の救急隊員の○○と申します。今、田中京子さんを救急車で搬送しているところです」
「えっ!」
三か月ほど前に、母は退院したばかりだ。つい一週間ほど前にも、ご機嫌伺いの電話をかけたばかりだ。
「今、搬送先の病院を探している段階ですが、娘さんの方でどこの病院がいいとか、要望はありますか? もちろん、受け入れ拒否となる可能性はありますが」
「母は、三か月前に、○○という病院に入院していました。そこならカルテがあるでしょうが……。母、一体、どうしたんですか? 何があったんでしょうか?」
「倒れられているのを、偶然お隣りの方が発見して、救急要請されたようです。お母様、詳しい事はわかりませんが、おそらく脳梗塞であろうかと思います。では、今から○○病院へ受け入れの要請をしますので、娘さんの方でも今すぐ○○病院の方へ向かって下さい」
「わかりました」
塔子は電話を切った。何がなんだかわからないが、とにかく急いで母の搬送先の病院へと、向かわなければならないらしい。ドアを開けて、光り輝く店内へと足を踏み入れた。眩しい。ここは、眩しい。幸せの空気で、満たされている。塔子は落ち着いて、ゆっくりと席へと戻った。

「お帰りー」
沙耶が明るい声で塔子を出迎えた。
「おいしいよ、このハンバーガー。お母さんも早く食べたら?」
海斗が口の周りにソースをいっぱいに付けて、どんぐりのような目で塔子を見つめた。
「そうだね……。おいしそうだね」
塔子はナイフとフォークを手にした。そして、彼の方へと視線を走らせた。彼は食べるのに集中していて、塔子に誰から?とも何も訊かなかった。いつもの事だ。彼は塔子に一切、興味がないのだ。塔子とて、同じなのだから、彼一人を責めるつもりはなかった。塔子は食べ始めた。何を食べているのか、わからない。頭の中が、ぼわっとしている。沙耶の楽しそうに話す声が聞こえるが、何を言っているのか、よくはわからない。塔子は黙々と食べ物を口に運び、時々機械的に海斗の口元を拭った。急がなければならないのは重々承知していたが、塔子は子供達が食べ終えるまでは、せめて何も言わずにおこうと思った。塔子は子供達が食べ終わるのを、辛抱強く待った。

やがて食事が済むと、四人は再び車へと乗り込んだ。車が走り出す。塔子はじっと前を見据えたまま、彼に話を切り出した。自分はこれから病院へ向かわなければならないが、取り敢えず家に一度帰って、明日の学校の準備と幼稚園の準備、そして今夜のお風呂の準備は済ませてから行くつもりだ、と淡々と告げた。彼はいつものように興味がなさそうに、ふーん、とだけ呟いた。自分に火の粉が降りかからなければ、彼にはどうでもよいのだ。結婚して7年。塔子にはそれが嫌というほどわかっていた。彼は、自分にしか、興味がないのだ。自分にメリットがあるかどうかで、世の中を計っているのだ。今回の提案では、おそらく自分が面倒な目には合わない、と踏んだのだろう、彼は特に何も言わなかった。これがこのまま病院へ連れて行って、あなたが自分で子供達の明日の準備やお風呂の用意をしてやって、という内容であったならば、こうはすんなりと物事は進まなかったろう。塔子は徐々に、彼の操縦の仕方を身につけていた。
しかし、それには大変な苦痛が伴った。責任も厄介事も、全て塔子が取らされ、処理しなければならなかった。だが、そうやって一切を引き受けておけば、彼の機嫌はよかったし、家族内に波風は立たなかった。

全ての用事を済ませると、塔子は病院へと向かった。沙耶と海斗を寝かしつけておいてね、と彼に頼み、自分は何時頃に帰れるかわからないから、先に寝ててね、と彼に言った。彼は既に眠いようで、ああ、と呟いてさっさと寝室へと入ってしまった。
彼は塔子が車を運転をするのを嫌がるので、塔子は仕方なしに自転車に跨った。ライトを付けて、夜の町へと繰り出す。塔子の住むところも片田舎だが、○○病院はもっと辺鄙な隣りの市にあった。自転車でおよそ、20分ほどの距離だ。塔子は漕ぎながら、母の容態についてよりも、子供達が寂しがって泣いていないだろうか、とその事ばかりが気にかかった。寂しい夜道は電灯も少なく、すれ違う人もあまりいない。やがて、○○病院の巨大な姿が塔子の目の前に見えてきた。塔子はそっと溜め息をついた。
ふと、女医の豊井の事が思い出された。また、あの女に出会わなければならないのか。





しろ☆うさです いつもお読み下さり、ありがとうございます

「真夜中に走る自転車1」……読んで下さればおわかりでしょうが、全然真夜中じゃない時刻なんですね
しかし、「真夜中に走る自転車2」では本当に真夜中に走る事になるので、あえてこのタイトルでいってみました(笑)。
ではまた次回、お会いしましょう



スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿












トラックバック

この記事のトラックバックURL:

 |   |