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vol.13 閉ざされた空間1

一本の、呼び出し電話が入る。母が入院している病院からだ。
お話したい事があるので、近々こちらに来られないか、とその電話の主は言う。
明日、伺います。
明日の何時になりますか?
いつも通り、娘を幼稚園へ送ってからになりますので、10時には伺います。

母が入院して、二週間が経つ。
塔子の一日は、激変していた。

朝、彼を起こす。朝食を作り、同時に洗濯機を回し始める。彼を見送ると、今度は娘の沙耶のお弁当を作り始める。出来上がった頃に、子供達を起こす。子供達の朝食を出す。沙耶はもう幼稚園だから一人で上手に食べられるが、息子の海斗はまだ放っておくわけにはいかない。ちょっとでも目を離すと、小さな手をじゃぼん、とお味噌汁の器の中に突っ込んでみたり、おにぎりを細かくちぎっては丸めてお皿に並べるのに没頭していたりする。海斗が朝食を食べるのを手伝い終わると皿を洗い、今度は洗い終わった洗濯物を干しにベランダへと上がる。干し終えると、子供達を着替えさせる。沙耶は制服に。海斗はまだ幼稚園へ入る年にはなっていないから、普通の服だ。
そして後ろに沙耶、前に海斗を乗せて、塔子は自転車を飛ばす。幼稚園に着くと、沙耶を教室まで連れていく。担任の先生に挨拶をして、引き渡す。それが済むと、海斗を自転車に乗せて、塔子は再び街へとこぎ出す。途中で何人も知り合いや仲良しのママ達とすれ違う。おはよう、とすれ違い様に手を振り合う。

ここまでは、母が入院するまで、毎朝繰り返していた事だ。

自転車は、そのまま病院に向かう事もあれば、一度家へ寄ってからの場合もある。今日は病院から話があると言われているので、塔子はそのまま病院へと向かう。昨日、行ったばかりなのに。その時、担当の看護師は何も言わなかったのに。一体、話ってなんだろう?どのくらいの時間を取られるのだろう?途中で海斗がグズリ出しやしないか……そうだ!すっかり忘れていた!
塔子は無意識にブレーキをかけた。前に乗る海斗が不思議そうに母親を振り返った。塔子は自転車を停め、バランスを崩して自転車が倒れないように左手で支えながら、右手で鞄の中をまさぐった。
やはり、ない。塔子は諦めて再び自転車にまたがった。朝の忙しさで、ついうっかりと塔子は海斗のオムツを鞄に詰めるのを忘れてしまったのだ。オムツはいつもおしり拭きと一緒に閉まっているので、当然おしり拭きも持って来るのを忘れてしまった。

どのくらいの時間、話を聞かされるのだろう。
それは、子供のオムツがパンパンになってしまうくらいの長時間なのだろうか。

気もそぞろに、塔子は病院に滑り込み、駐輪場に自転車を停めた。海斗の手をひいて、院内へと入る。総合病院なので、そこはとても広い。一階にはパン屋、コンビニエンスストア、銀行のATM、喫茶店、花屋、カフェなどが並ぶ。母の病棟へ辿り着くには、それらを通り過ぎ、エレベーターで7階まで上がり、そこからもまた長い廊下を歩かなければならない。それは塔子一人だとなんともない距離だったが、海斗はいつも途中で歩き疲れてしまって、抱っこーとせがむ。泣き顔で両手を伸ばしてくる息子を抱き上げ、塔子は長い廊下を歩く。沙耶が幼稚園でよかった。これで沙耶までグズられたら、たまったもんじゃない。

時間ちょうどになってしまったので、塔子は母親の病室へ入って声をかけるのを諦め、詰所へと向かった。名前を告げると担当を呼びますから少しお待ち下さい、と言われる。塔子が海斗を抱っこして近くのソファに腰を下ろすと、白衣を着た若い女医の豊井が数人のこれまた白衣を着た人々を引き連れて、塔子の目前に現われた。
「こちらにどうぞ」
豊井は塔子を促した。塔子は海斗を抱っこしたまま、その数人の白衣の軍団の後からついて歩いた。通されたのは、狭苦しい閉ざされた部屋だった。いや、それは部屋とは呼べない、ボイラー室だ。彼らはどこからか簡易式の椅子を持って来て、そのボイラー室に並べ始めた。そして皆、座った。人数と椅子はちょうどぴったりだったが、海斗が座る椅子まではなかった。塔子は諦めて、息子を膝の上に座らせた。

豊井は雄弁だった。若く、美しく、自信に充ち溢れた女だった。正はいつも自分の内側にあり、悪はいつも自分の外側にあると固く信じているタイプの人間だった。
豊井は話ながら、時折無意識なのだろう、海斗へと視線を向けた。海斗を見る度、豊井の声は間延びした。考えがまとまらなくなるのだろう。やがて、豊井は書類を数枚塔子へと見せながら、血圧について、肝臓の数値について、声も高らかに説明を始めた。塔子は膝を持ち上げて、そっと海斗の表情を見つめた。彼はびっくりしたように目を見開いたまま、固まっている。

この話が済んで廊下へ出た途端、きっと息子は泣きじゃくるのだろう、と塔子は思った。
いつもと違う部屋で、5人もの大人達に囲まれる恐怖は、きっと誰にもわからない。




しろ☆うさです
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございます



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