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vol.119 目覚め 8

人は自分を変えようと思えば変える事が出来る。すぐには無理でも、変わろうと思った時点で最初の一歩は踏み出しているのだ。たとえそれが困難で長い道のりになったとしても、やがて行き着く場所は必ずある。しかし、人を変える事は不可能だ。人は自己変革出来たとしても、他人を変える事は決して出来ない。それは自分がイメージしている他人と、その本人の自覚している自分というものが必ずしも一致するものではないからだ。その間には山と谷ほどの大きな隔たりがある。

大概の人もそうであるが、特にモラルハラスメントを行っている者は、内と外の顔を完璧に使い分けている。塔子から見た彼と、外部の人間から見た彼とでは、その印象は雲泥の差があるはずなのだ。人は、いくつもの顔を持つ。どの顔を誰に見せるかは、意識的にせよ無意識的にせよ、瞬時に判断されている。また、全く同じ顔を誰にでも平等に見せていたとしても、見た側の印象でそれが同一のものであったとしても捉われ方は異なる場合も多々ある。人は、同じ対象物を眺めていたとしても、通しているフィルターが人それぞれ違うから抱く感想は千差万別なのだ。

彼とてそうである。塔子にとって彼は背負わなくてよい荷物がまた一つ増えてしまったという印象でしかなかったが、彼の両親から見れば、30や40の大の大人になっても可愛い可愛い大切な長男である。彼の友人達から見れば、愉快で朗らかな良き友である。本当は違うと塔子が声を枯らして叫んだところで、彼らの印象を変える事は出来ない。彼らにとってはそれが真実であり、塔子の言葉こそ事実無根であるからだ。

塔子は彼を変えさせようとはしなかった。ただ、彼の行いや発言で誰がどれだけ傷つくか、困るか、嫌な気持ちになるのか、というその事だけに触れた。それを言えば何時間も、何日も、時には何か月も子供のように彼はむくれた。それでも塔子はそれを伝え続けた。言わずに我慢している方が圧倒的に楽に生きられるのだが、敢えて塔子はそれを貫き通した。それは、彼のためを思っての優しい心遣いからではなく、塔子自身のため、そして子供達の将来のためだった。彼のために何かをしよう、彼に尽くそうという気持ちは綺麗サッパリなくなっていたが、代わりに塔子にも自己保身の気持ちが芽生え始めたのだった。どう過ごせば自分が気持ちよく暮らせるか。どうすればよりよく暮らせるか。それまで持ち合わせていなかった狡さと強かさをも手に入れ、塔子は自分と子供達のためだけにそれを実行し続けた。長期に渡る無視という意地の張り合いは、余計に子供達に悪影響を及ぼしかねなかったが、塔子はそれすら脇へ追いやって、自分の主張を通した。何日も、何週間も、何か月も貫き通す事もあった。子を持つ母親がみっともない、と後ろ指をさされようが、気にもしなかった。彼も、彼の両親も、子供達ですら、自分自身より大切なものはない、というスタンスを押し通した。実際、そう思っていた。塔子は彼より、彼の親より、自分がお腹を痛めて生んだ二人の子供より、自分自身を大切にする道を選んだのだ。

それは、見た事もない道であり、辿るはずのなかった道であった。目の前の景色が急に色付き、厚く覆っていた雲が風に押し流された後の光と熱を感じる道であった。笑いたい時に自由に笑った。彼の顔色を伺わず、自分の意見を口にした。彼には一切相談せず、自分のお金で自分の好きなものを買った。少しでも時間が出来ると、新しいバイクに跨がり、颯爽と街中を駆け巡った。自分専用のパソコンを手に入れ、彼との共用を止めた。行ってみたかったカフェやお店巡りをした。結婚してから制限があって会えなくなってしまった友達と会った。楽しめそうな閃きはすぐに実行した。

自分がやろうと心底思えば、それらは意外と簡単に手に入るものばかりだった。今までは介護に育児にと時間がなかったから無理だったのももちろんあるのだが、なにより彼の存在が恐ろしく煩わしく逃げていたのだ。無理だ、と自分で決めつけていただけだったのだ。ところが蓋を開けてみれば、世界はこんなに眩く、彩り豊かな場所だったのだ。塔子は思い切り自由を満喫した。誰ももう自分を制する者はいない。楽しんでいい。喜んでいい。申し訳なく世界の片隅で小さくなって生きていなくてもいい。誰に共感してもらえなくてもいい。誰に褒めてもらえなくても、誰に愛されなくても構わない。元々、最初からゼロだったのだ。承認欲求すら、塔子の右手のアクセルで敢えなく風に巻き上げられ、一瞬で過去へ飛ばされていった。

それでも、必要最低限のしなければならない生きるために不可欠な事は怠らなかった。それは良心からでもなければ、世間体を気にしてというのでもなく、半ば意地からであった。仕事は休まず続け、家事も今まで通りにこなした。子供達のPTAの活動も全て参加し、二年連続役員もした。町内会の班長もやり、パトロールや町内の清掃もした。それらは心から楽しめるものではなかったが、まるで重箱の隅を突くように粗を探す彼への防御策であった。嫌味なほど、やるべき事は今まで通りに、もしくはそれ以上にこなした。それが、塔子にとっての保身だった。

すっかり変わってしまった塔子を、彼は最初受け入れる事が出来ないようであった。それでも構わず塔子は自分で決めた道を黙々と進んでいった。彼の好みではない服を着て、彼の好みではない音楽を流して、彼の好みではない話題を口にして、彼の好みではない食べ物を食べる塔子を、彼は呆然と見つめるだけだった。塔子の変貌ぶりに脳がフリーズしてしまったようであった。時折、思い出したように文句を言う事もあったが、塔子は全く相手にはしなかった。何を言われたところで、やるべき事柄は既に終わっているからだ。もし仮に塔子が何もせず、ただ自分の好きな事だけをしたとしても、塔子はそれでも彼に何も言われる筋合いはないと思っていた。家政婦のように家の中を片付け回らなくても、たとえ仕事を辞めてのんびりくつろいでいたとしても、何もせず、ただ生きているだけの厄介な存在になろうとも、それでも認められ、愛され、許されている者が世の中にはたくさんいるからだ。それに引き換え、あれもしてもらい、これもしてもらい、あなたはこれ以上何を望むものがある? という態度で塔子は彼に接していた。実際、彼は全てに満たされており、過保護に慣れた子供のように、贅沢を贅沢だと気付いていない馬鹿者のように、塔子の目には写っていた。

何を不満に思う事があるというのか。私が持っていないものを、喉から手が出るほど欲しかったものを、お前は手にしている事すら気付かず、さも当たり前のような顔をして持っているではないか。70を越えた両親はまだまだ元気いっぱいで、息子に甘えてもらいたくてウズウズしているではないか。たとえ我が子が間違っていようと、全力で憎き嫁から守り通そうとする親が二人も揃っているではないか。愚か者であっても、怠け者であっても、あるいはただそこに存在して息を吸ったり吐いたりしているだけでも、力いっぱい愛されているではないか。これ以上、一体何を求めるというのだ?

彼にしろ、他の誰かにしろ、何かを羨ましく思ったり、恨みそうになると、塔子は新たな楽しみを見つける事で気を紛らわせた。思い出したように、昔好きだった曲の入ったCDを買い求め、夜に皆が寝静まると、小さな音で繰り返し繰り返し再生を続けた。感傷は甘く、優美で、切なかった。ゆったりと流れる音楽によって、群青色の夜は密度を変え、濃厚な乳白色が空間をマーブル模様に描いた。そういった感傷の裏側では、どこかでもう一人の自分がギャラリーとして音楽を聴く自分を眺めているような、そんなあざとさやわざとらしさや嫌らしさの存在を微かに感じていた。甘い感傷に完璧に浸るほど、自分がもう若くはない事を、塔子はその時自覚した。そして、何故だかその事実にホッとした。若さ故のキンキンと張り詰めた、あの気恥ずかしいほどの無知な空気感が抜けていくのを感じていた。あのシャラシャラと星屑が零れ落ちるような、清浄な空気感が抜けていくのを感じていた。実年齢と精神年齢は全くの別物であった。

母の死によって平凡に戻った日常を、その単調でどこか退屈な日常を彩る何かを、塔子はいつも探し続け、実行し続けた。それは成功する事もあれば、大した成果を上げない事もあった。だが、そんな事実はどうだってよかった。自分の思いついたアイデアを実行する、それ自体に意味があったからだ。人を変える事は出来ない。どれだけ懇願しようと、土下座しようと、たとえ家族でも相手を変える事は出来ないのなら、自分が強固に、強かに、柔軟に、変わる事を塔子は選んだ。唖然としたり、罵ったり、無視したりと、彼の方でも忙しそうな毎日を過ごしているようであった。そのうち、彼の方が塔子の変化に追い付かず、疲れ果て、離婚を仄めかす事もあった。しかし、それさえ塔子は笑い飛ばし、なかった事にした。ここで、はい、どうぞ。自由におなり、と手を離すのは簡単な話だった。それが出来るなら、こんないたずらに時間を浪費せず、とうの昔に実行していたはずなのだ。何度も何度も、そのチャンスはあったはずなのだ。けれども、事態はそんな簡単な二文字で済まされるほど安直なお話ではなくなっていた。他の人はどうか知らない。それが二人にとって最善の策である場合、迷わず離婚すればよい。しかし、塔子にとって、それは全く最善の策ではなかった。逃げ帰る実家もなく、実家の近所にアパートを借りてくれ、資金の援助や引っ越しの手伝いをしてくれるような甘い親や親戚がいるわけではなかったからだ。身体の不調などで仕事が無理になった時、お金が尽きた時、自分が仕事中に子供達が倒れた時など、様々なシミレーションは遥か昔に体験済みだ。そして、どのパターンを選べば自分がまだマシに生きられるかと、賢く狡く選び取ったのが、今ここにいる、この場所であったのだ。楽園とはいかないが、いらないものを切り取ったり、新しい風を呼び入れたりして、どうにか喜びを探しながら暮らせるようになったのが、今ここに立つ、この場所なのだ。それを気まぐれな彼の一言で全て覆されるとなると、塔子は納得がいかないどころの話ではなく、それなら一層の事殺してくれた方が百倍も二百倍もマシであると考えるのだった。母と陥っていた共依存は、彼と塔子の間にも受け継がれていた。塔子はそれを自覚していた。しかし、それさえも逆手に取らなければならぬほど、塔子の身の上は孤独であった。彼と切れる事によって、子供達を諦めなければならない確率も、普通の人が離婚する場合より高かった。唯一の身寄りである弟は、弟であって、兄ではない。それは守るものであって、守ってもらうものではないのだ。弟の大学資金を出したのは姉の立場である塔子の方であって、今更その役割を真逆に変更するのは、精神的な面においてさえ、互いに不可能であるのだ。どう考えても、最善策は離婚ではない事を、塔子は痛いほど知っていた。他の人にとってはそれが一番の最善策であったとしても、自分だけはそれを選び取る方が危険である事に、塔子は気が付いていた。少なくとも、自分自身の環境においては。彼を差し引いた、自己都合だけの環境を選び取るにおいては。

彼一人が鳥籠の中から飛び出し、自由に羽ばたくのを、塔子は決して許さなかった。


「目覚め」シリーズ



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しろ☆うさです

いつも最後までお読み下さり、ありがとうございます

今回も、「目覚め」シリーズの続きです。8話目となりました。

一応、次? かその次? くらいで終わりです。

「目覚め」シリーズが終わるという意味でもあり、またこのおはなしそのものが最終話を迎えるという意味でもあります。

「ひとしずく」というおはなしが最終話を迎えた後は、しばらくあとがきのようなものを書いていこうかな~と思っています。かる~く。

本当はそういうの書くのは好きではないのですが、今回は扱ったネタがネタなだけに、ほんの少しあとがき的な事も書いた方がいいかなーと思って。

ま、どんな感じに進めていくか、今のところまだ未定ですが

いつもお越し下さる方、時々覗きに来て下さる方、そして拍手やランキング等を押して下さっている方、いつもありがとうございます。感謝しております

しろ☆うさでした~~(^.^)/~~~



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