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vol.117 目覚め 6

一体、自分は何に対して悩み、悲しんでいたのか。そして何に対して怒り、憤りを感じていたのか。何を辛いと感じていたのか。漠然とした灰色の霧は消え去り、自分が立っていた状況が理解出来た今、後に残ったのは自分自身の感情だった。それを突き詰めて考えてみれば、後に残されたその感情とも真摯に向き合える。塔子はそう思った。

結局のところ、自分はただ他人を羨んでいただけなのかもしれない。隣りの芝生を青く感じていただけなのかもしれない。誰にだって何かしらの、当事者にしかわからない苦しみの一つや二つは必ずあるものだ。誰もがお花畑を呑気に駆け回っているわけではない。投げつけられた石のつぶてを大ごとに取るか、あぁ、この程度の怪我でよかったと捉えるか、それだけの違いなのだ。要は本人の気持ち次第なのだ。過去は決して変えられない。事実は事実として、ちゃんとそこにある。ただ、そこに引きずり込まれるか、その状況を認めた上でそこからどう立ち上がっていくか。その違いだけなのだ。

自分にとって、要介護5の母の介護は、ひどく重荷だった。終わりの見えない苦行をひたすら課せられたようなものだった。ただ、それは時期的なものもあって、もしかして自分がもっと歳を取ってから始まったものならば、それはそれほど辛く感じなかったかもしれない。自分にとって根本的な苦しみの原因は、母の介護云々ではなく、おそらくそれが始まった時期が大きな原因だったのだ。要介護5の母を介護する、という看板があまりにも大きすぎて見えていなかったが、苦しみの本当の原因はそこではなく、そこでは決してなく、ただただ時期が悪かっただけの事なのだ。
塔子が幼い頃から、母は病弱で入退院を繰り返していた。それは母が離婚した後も、塔子が結婚して子供を生んだ後も続いた。脳梗塞で倒れ、後遺症で半身不随になったのは母が50代の頃で、塔子の一人目の子供が幼稚園に入園し、二人目の子供がやっとよちよち歩き始めた頃だった。楽しくも振り回されながら、悩んだり喜びを感じながら子育てをする時期だった。夫の協力を得られない育児。夫とは分かり合うどころか、意思の疎通すらなかった。周りのママ友達のように息抜きや子供を預けるために実家には帰れない孤軍奮闘の育児。そこに更に被さってきた母の介護だった。サポートを得られないどころか、子供二人と寝たきりの母を、助けてばかりの毎日だった。私はこれだけした、あれもやった、これもやった、と訴える場所も暇ももちろんなかった。それらをまるで武勇伝のように語る事すら許されなかった。頭痛で寝ていれば必ず彼の皮肉が飛んでくるので、痛くない振りをしていつも笑っていなければならなかった。高熱にうなされていても、ひとたび母の病院から電話が入れば、それが他愛のない用事でも、すぐさま飛んで行かなければならなかった。八方塞がりの中、自転車の前かごに母のオムツ、鞄には子供のオムツ、そして後ろに息子を乗せて、ひたすらペダルを漕ぐ人生だった。自分の感情など、完全に麻痺していた。いつも置いてきぼりにして捨ててきた。そこに視点を当てるとあまりに惨めなので、何も感じない振りを続けた。逆に、うまく立ち回れない自分を責める毎日だった。

これが、もし時期が違っていたなら。子供達がもう少し大きく、せめて二人とも小学校に入っていた時期ならば、これほど時間に追われる事はなかったかもしれない。もっと子供と向き合い、たとえ帰れる実家がなくても子育てを楽しめたかもしれない。子供が大きくなって手が掛からなくなってから、母の介護が始まっていたなら。自分はもっと母と向き合えたかもしれない。片手間な育児と片手間な介護に挟まれ、自分を責めて苦しむ事もなかったかもしれない。世間一般と同じように、もしくは老々介護のように時間と自分に余裕がある中での介護だったなら、これほどまでに辛くはなかったかもしれない。自分の悩みの根本は、ここだった。時期が悪かったのだ。世間一般に始まる介護の時期からは大きくズレていた事が原因だったのだ。二十年、もしくは三十年も早く始まった介護生活だった。50代の母親は、まだまだ元気で娘の子育てを応援するはずの年齢だった。普通の人のように、介護が必要になるのは、70、80代になってからであってほしかった。介護人である自分がまだ20、30代の頃であってはならなかった。せめて子育てがひと段落した40代以降であったなら、理不尽に思い悩む事もなかっただろう。子育てに協力的なママ友の母親を見て、心が悲鳴をあげるほどズタズタに切り裂かれる事もなかっただろう。

ただ、ひたすら時期が悪かった。それだけの事なのだ。長い牢獄の時期も、いつかは終わる。永遠の命なんてないのだから、全ての者に等しく終わりは必ずやってくる。そして、そこから得るものもある。自分の辛さの根本的原因をハッキリと突き詰めた塔子は、自分の努力次第で得られるものだけに力を注ぎ、与えられないものを悲観したり欲しがったりするのはもう止めようと思った。

義父から受けた心無い言葉を噛みしめ、充分に味わった後に塔子が出した結論はそれに尽きた。自分の努力で得られるものしか欲してはならない、という結論だった。優しさや愛情、親切心や温かさ。そして思いやり。相手側に備わっていないそれらの事柄を、くれとねだるのは無意味な事だとわかった。義父が嫌味で言ったのか、心底真実を語っているのかは知る由もないが、どちらにしても向こうは塔子に対して愛情も信頼も1ミリも持ち合わせておらず、ただただ保身しか念頭にない事はよくわかった。塔子にはそれを指摘する事も、それを改心させる事も出来るわけがないのだ。人を変えるなど、そもそも出来るわけがないのだ。ならば自分が変わろう、と塔子は思った。手に入らないものをないものねだりするのは止そう。物欲しそうに指をくわえて、いつかあの人は変わるかもしれない、いつかあの人は私を受け入れてくれるかもしれない、と期待をして生きるのは止めようと思った。これからの自分に必要なものは、自分の努力次第で得られるものだけだ。相手側に期待するのは依存しているのと同じなのだから。求めても叶えられない夢ならば、いっそのこと最初から存在しないものとして割り切るしかない。

納得するまで、暫く時間が掛かった。何故? と不思議に思う堂々巡りから抜け出すのに時間が掛かったのだ。塔子は本当に不思議で仕方がなかった。義父や義母の仕打ちが理解出来なかった。頭痛は相変わらず果てしなく塔子を苦しめ、またもや耳に不調が現れた。耳痛はどんどん酷くなり、顔の右半分がビリビリと痛んだ。熱は上がったり下がったりを繰り返し、挙句の果てにはまるで世界地図を広げたような蕁麻疹が全身を隈なく襲った。鬱になる状況を許されない環境下にある者は、時として身体にその症状が現れるという。あぁ、自分もおそらくそうなんだろうな、と塔子はまるで他人事のように自分を客観視した。長かった介護生活が終わり、終わったと同時に別居が始まり、相手側の親は保身しかなく、自分には肉親も味方もいない……。そうだ、自分は昔から打たれ強かった。鉄で出来ているかのように、心だけは強かった。心に向かうはずのものが何も感じないのなら、身体に向かうしかこの憤りも悲しみも、声を上げる術がなかったのかもしれない。聞きたくなかった言葉は耳痛に、体中を巡る怒りは血にも入り込み血管という血管全てを浮腫ませた。ただ、それだけ。それだけの事なのだ。何も恐れる事はない。何も悲観する事ではない。ただ、私は怒っているのだ。ただただ悲しんでいるだけ、それだけなのだ。得意になる必要もなく、哀れになる必要もなく、ただ認め受け入れ、果てしなく続く日常を淡々とこなすのだ。

症状も気持ちも一進一退だった。前向きに物事を捉えられる日もあれば、獰猛なほどの自責の念に囚われる日もあった。髪をかきむしるほどの憎しみと孤独の狭間で、なかなか消えてはなくならない被害者意識にのたうち回った。自己憐憫しか癒しを得られない虚しい日もあった。頭では理解出来ているのに、心と身体はそれに追いついていかない日もあった。バラバラと髪は抜け落ち、大きな禿がいくつも出来た。もう無理かもしれない、自分にはもう立ち上がる気力が残っていないのかもしれないと思う日もあった。死に場所を必死に考える日もあった。全てはいきなり好転するはずはなかった。あぁ、どうして義父はいつもいつも私を蔑み、傷ついたり恥ずかしく思ったり呆然としている私を見て喜んでいたのだろう? 何故あんなに人は卑しくなれるのだろう? どこまで人は自分を満たすためだけに卑劣になれるのだろう? そこに果てはないのだろうか? 何故親が死んだ、その瞬間から責められなければならなかったのだろう? 慰めの言葉一つ掛けてもらえず、悪い嫁に引っかかった我が子が可哀想だ、と責められなければならなかったのだろう? 私には庇ってくれる親すらいない事を知っているのに、何故そんな発言が出来たのだろう? 自分の娘より遥かに若い義理の娘である私が、一人で親を苦労して介護していたのを知っているのに? 40にもなった自分の娘は優雅にまだまだ娘の立場を満喫しているのに? 憎しみは竜巻のように渦を巻き、義父や義母や義姉を巻き上げ、吹き飛ばした。そうかと思えば翌日には、怒りに身を任せた自分を恥じ、自責の念に駆られるのだ。

生きている者を許すのは、死んだ者を許すより遥かに難しい。塔子はそう思った。それでも、きっと乗り越えられる。これまでも全部乗り越えてきたではないか。乗り越えられない壁は、時間が上手に解決してくれたじゃないか。大丈夫。きっと、大丈夫。この怒りも悲しみも一過性のものであって、永遠に続くわけじゃない。身体に現れた数々の症状も、心が落ち着けばいつかは消えてなくなるだろう。大袈裟に騒ぐ事ではない。大丈夫。きっと、大丈夫だ。

いつかは、自分も歳をとる。中年になり、老人になる。いつかは全てが思い出になる。無様だった過去も良い記憶も、灰となり消えていく。一生懸命に生きた証さえも、一筋の煙となって跡形もなく消滅する。それまでの長いような短い期間、これからは出来るだけ楽しく生きよう、と搭子は思った。自分の思うように生きよう。今までやりたくても時間がなく出来なかった事、誰かの視線や世間体ばかりを気にして出来なかった事。それらを全部やっていこう。自分で自分の首を絞めるのはもう止めにして、代わりに自分で自分を幸せにしてあげよう。子供達が二人とも小学生になった今なら、母の介護が終わった今なら、それが許されるはずだ。母や彼や子供のために犠牲にしてきた自分の時間を取り戻すのだ。その考えは搭子をワクワクさせた。苦しみからようやく解放された搭子は、生まれて初めて沸き上がってくる楽しい感情に目も眩むほどだった。喜んでも、いいのだ。楽しくしても、いいのだ。誰に非難されようと、後ろ指を指されようと、気にしなければいいのだ。たとえ彼が搭子の前向きな生き方を恐れ、阻止したり嫌がらせをしたりしても、自分はもう決して諦めない。自分の人生は誰かの顔色を伺う事ではない。相手がそれを理解しないのであれば、自分は自分の道をいくだけだ。これから、自分は幸せになる。幸せになるのだ。搭子は未来をそう決定した。


「目覚め」1~5



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しろ☆うさです

いつも最後までお読み下さり、ありがとうございます

今回は、「目覚め」シリーズです。今回で6話目になりました。

今回も書きにくかったー(笑)。当たり前の話ですが、書き手と主人公ってイコールではないので、物語の世界に自分を持っていくのがねぇ……なかなかムズカシイ。持っていけば持っていったで、逆に引きずり込まれそうな感じがヤバイっていうか。憑依したら書きやすくはなるけど、それじゃこれまでのやり方を保てないというか。まぁ、一人称で書いていないから陥る単純なジレンマなのですがね。

いつもお越し下さる方、時々来て下さる方、拍手やランキング等を押して下さる方、感謝しています。いつもありがとうございます

しろ☆うさでした~~(^-^)


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