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vol.116 母の思い出 8

絡まった糸の先に着いていたのは、父だった。
それは大きな諦めを持って、なかったものとして葬った過去の亡霊だった。あの人の事を考えるのは、馬鹿らしい。思い出すのも、煩わしい。心が汚れていくような気さえする。それは、何故だったのだろう? 一体、いつからそうなってしまったのか。

母と別れ、私達家族を捨て去り、夫としての、そして父としての責任をいとも簡単に放棄した頃からか? 否、違う。それはおそらくもっともっと以前からあったものだ。単身赴任で出て行った頃からだろうか? 違う。母が自分の祖母を私達の自宅に引き取った頃からか? 違う。弟の結婚式の当日に、私を騙して付き合っている女の元へ連れて行った頃からだろうか? きっと、違う。それは私が幼い頃から、記憶にさえ残っていないくらい遠い昔から、密かに存在していたのではなかろうか。

平和な食卓を囲む笑顔の裏で。ドライブのクラウンの中で。手を繋いで出かける近所の公園の中で。右に左に行き交うバドミントンのシャトルの向こう側で。
私はあの人を愛していたのだろうか? 私はあの人を絶対的に信頼していたのだろうか? 私はあの人に本当はどういった感情を持っていたのだろうか? 塔子は自問自答してみる。

思い出すのは、母の泣き顔だけで、あの人の顔の表情は見えない。平穏無事に見える日々の中で、漆黒の闇は確かにじっと息を潜めていた。家族四人で暮らしていても、まるでそれは悪魔の同居人のように傍におり、面を被って誰からも気付かれずにいた。表だって、それが暴れまわる事はない。わかりやすく現れる悪魔ではなかった。それは常識人として、良き市民として、理想的な家庭人としての隙間、隙間に見え隠れする悪魔だった。それを知るものはどこにもいない。本人自身も気付いてはいなかった。母もきっとわかってはいなかっただろう。大人達がわからないその存在を、幼かった塔子が知る由もない。だが、今ならわかる。その悪魔の正体こそ、モラルハラスメントだったのだ。

いつも、違和感があった。何を話していても、不思議な違和感があったのだ。言葉の隅に、洩らしたため息に、ふとした態度に、その厚かましさ、その残忍さ、その無責任さを垣間見るのだ。しかしそれは巧妙な悪魔で、そう感じるこちら側に罪悪感が生じるように仕掛けてあるのだ。その手口はまるで澄んだ水のような無垢な清らかさで、悪気もなくこちら側の正常さを狂わせるようになっている。

ここでも、連鎖されていたのだ。そんな父の子として育ち、全く同じ資質の男に引っ掛かり、結婚した。男とはそういったもの、という間違った常識がインプットされていたからだ。拭えないほどに染みついていたからだ。その世界しか知らない井の中の蛙だったからだ。母はそのような悪魔に対し、一体何を感じていたのだろう。おそらく塔子と同じように、奇妙な違和感の中で暮らしていたに違いない。積もり積もった違和感はいつしかストレスとなり、はけ口はいつも弱い者へと向かっていたはずだ。父から母へ放たれた黒い煙は、今度は母から塔子へと向かった。それらはごく自然な流れとして、当然のように水面下で行われていた。投げた者も、受け取った者も、無意識の行いであった。誰もその仕組みに気付いてはいなかった。矛先を向ける知恵もなかった塔子だけが、その煤けた煙を一身に浴び、自分が悪いのだという罪悪感のみが溜まっていった。恵まれた環境の中、疑う事すらせず、自己否定という灰が降り積もっていったのだ。

悪魔の連鎖は単純な仕組みだったのだ。そこから逃れたとしても、また新たな悪魔が出現するようになっている。笑顔の影で、優しさの裏で、それは手ぐすねを引いて待ち構えている。父も母も、いつしか塔子の人生から泡が弾けるように消えてしまったが、新たな悪魔はきちんと補充されていたのだ。その存在に、その仕組みに気付いた今、自分はこれからどう生きていくのか。何を捨て、何を選び取り、どの道にハンドルを切ればいいのか。あるいは何も捨てず、何も選び取らず、どの道に進むのか他人任せ運任せにするのか。可能性は無限にある、と塔子は感じた。重いしがらみを脱いで新たなステージへ旅立つのも自分。膝を抱えて縮こまり、悲劇のヒロインだった過去を反芻し続けるのも自分。どの未来を選んでも、自分は自分なのだ。自分は母とは違うのだ。

母は、悪魔に負けたのだ。離婚して、そこから逃れた後も、決して幸せではなかった。一度悪魔にロックオンされると、たとえ逃げ延びても、新たな環境に身を投じても、それはひたひたと背後から忍び寄る。一見わからないが手を変え品を変え、それは必ず現れる。そしてそれに飲み込まる。完全なまでににそれと一体化する。同化して、それそのものになる。半身不随になり、寝たきりの状態で、「私の事、笑えばいいわ。いつかあなたもこうなるのよ」、と悪魔は囁いた。その言葉は呪いとなり、確実に塔子に爪痕を残した。母は死ぬまで自己憐憫から抜け出せなかった。過ぎ去った過去に何の思い入れもないのに、ひたすら受けた酷いダメージから抜け出せずにいた。それはまるで過去の栄光にしがみつく愚か者のように、被害者意識にしがみついたままだった。悪魔は何も外からやってくるだけの外的要因ではない。自らそれを育み生み出す事も出来るのだ。そしてそれとは気付かずにまるで蜘蛛の子を散らすがごとく辺り一面に拡散していくのだ。新たな被害者を、そして被害者意識の芽生えを求めて。悪魔の本望は、犠牲者を出す事よりも、本当はその後の意識を食い散らす事にこそあるのだから。

自分は母とは違う、と塔子は思った。今はまだそこから抜け出せてはいない。だが、この悪魔の増殖の仕組み、そしてそれに打ち勝つ唯一の方法に気付いた気がする。反面教師として、母は必要不可欠な存在だった。ここを通過しなければ、今も尚気付かずにもがいていたかもしれない。父を母を彼を、そして舅や姑を、更に社会や政治や見ず知らずの赤の他人さえ恨んでいたに違いない。否、それがあってもいい。それが通過点として存在するのなら、そういう時期があっても一向に構わないのだ。問題は、その後の自分の意識だ。被害者である自分、という確固とした鉄の鎧を外せるかどうかだ。これを外さない限り、永遠に呪いは解けない。何故なら、そこには悪臭が漂うからだ。自己否定。自己憐憫。そして被害者意識。それらには悪魔にしかわからない独特の匂いが伴っているからだ。悪魔はその匂いが大好きで、どこにいても吸い寄せられる。そしていつしか骨の髄までしゃぶられるのだ。

それは単純な仕組みだ。しかし、理解する事と実行する事はまた別物である。塔子は膝を抱えたまま、じっと深く内省する。こうしていても何も事態は変わらなかったが、傷口を広げて膿を出し切る期間が必要だった。自分が傷付いていた事さえなかった事にしてきた人生のつけを払う時期だった。そうして全てを払い終えた後、搭子は自分が変わらなければと自然とそう思えた。父を許せるか、母を許せるか。そういった感情は越えていた。許さなくてもいい。許せない自分でもいい。ただ、それは仕方のなかった過去として、あるがままを受け入れた。これからの新しい自分にとって、判断はどうでもいいような気がした。親も自分も、ジャッジする必要はないような気がしたのだ。自己批判、他者批判。それらは塔子にはもう何の関係もない代物だった。他人に惑わされず、ただ自分を信じて生きる。四角四面に生きるのではなく、もっと柔軟に、強かに。たとえそれは間違っていると他者から指摘されたとしても、それさえも笑い飛ばし、ねじ伏せてしまうくらいに。信じていた友から受けたモラハラによる二次被害さえ、もうどうでもよい過去として振り切った。掴んで放さないのは幸福だけでいいのであって、後は自分にとって不必要なものとして捨てて行くだけだ。捕らわれないように。悪魔の餌食にならないように。自ら悪魔を生み出さないように。

バスに揺られ、一人母の元へと向かう。永久に眠るその場所で、塔子は誓いを立てるでもなく、花を供えただ手を合わせた。川のせせらぎの心地良い音が微かに聞こえる。合掌する塔子の近くで、遠くで、鳥達のさえずりが聞こえる。さようなら、お母さん。さようなら、かわいそうだった自分。


「母の思い出」全8話・完


「母の思い出」シリーズ



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しろ☆うさです

いつも最後までお読み下さりありがとうございます

今回のおはなしは、前回の続きで、「母の思い出」シリーズです。

このシリーズも、この8話にて終了となりました。

うーん。長かったような? 短かったような? どうだろう。そんなにこのシリーズ書いてないからなー。

1回目を書いたのが、2014年の11月。その年に3本書いて、翌年は1本だけで、2016年は2本、2017年は1作も書かずじまいで、今年2本で完結という流れです

「母の思い出」シリーズ

次回は「目覚め」シリーズに戻りたいと思います。そろそろ「目覚め」もラストに向かいます。というか、この小説がいよいよ完結しそうです。

また新しい物語を作ろう……と思うのですが、おそらくしばらくはお休みする事になると思います。な~んとなくファンタジー系?のお話がやりたいな~というのはあるのですが、まだ全く手付かずなので。休んで練らないと無理だと思う。それに他にやりたい事も見つけたし。まず、そっちを優先したいなーというのもあるので。

いつもお越し下さる方、時々覗いて下さる方、そして拍手やランキングなどを押して下さる方、感謝しております。ありがとうございます

しろ☆うさでした~~(^O^)/



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