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vol.115 母の思い出 7

母の死。そして別居。人生において大きな節目となるこの二つの出来事が自分の身に降りかかった時から、塔子は自分自身を深く考えるというこれまでに一度もしてこなかった事をするようになった。何故、この世にモラルハラスメントが存在するのか。何故、自分は獲物として選ばれたのか。ターゲットとして選ばれた自分のどこに非があったのか。これまでの30数年の長いような短いような人生を、掘り起こしてはそれを上から下から斜めから観察し、必要なものはまた土に返し、要らないものは切り離して捨て去った。なかった事にする必要はない。ただ、不必要なものとして認識する作業だった。良い事も悪い事も全て繋がっていて、まるで芋のようにズルズルと一緒に掘り起こされるのだが、それを選別していくような作業だった。要らないものまで後生大事に抱え込む必要はない。それは確かに記憶としてあった。忘れる事はない。それでも、それはもう腐っているのだ。異臭を放ち、土の中で生き続けているのだ。その腐った芋のような記憶を切り捨て、ゴミ箱に捨てる。それはゴミ箱の中で静かに眠ったまま存在する。要らないものとして、今後も存在するのだ。しかし、今の自分には何の影響も及ぼさないものとして認識される。それはただのゴミなのだから。

塔子はこれまでに二度、実家に帰りたいと思った事があった。実家に帰りたいというより、その場から逃げ出したいと思った事があった。しかし、その望みは二回とも叶わなかった。
一度目は、結婚間近の時だった。彼の言動や行いに疑問を抱いていた時だ。既に知人や友人には結婚式の招待状を出し終えていた。後には引けない状態である事はわかっていた。ダメで元々、塔子は母に電話を掛けた。結婚を取りやめたい事、出来るなら一人暮らしをやめて実家に戻りたい事、塔子は大人になってから初めての我儘を口にした。言葉をポツポツと繋ぎながら、口の中は罪悪感という苦い味でいっぱいだった。何故、こんなに涙が出るのだろう。何故、こんな愚かな泣き言を口にしているのだろう。案の定、塔子の願いは却下された。わかりきっていた事だ。それでも塔子は深く深く傷ついた。仕事を辞めたら母への送金が出来なくなる。決まっていた結婚を取りやめてしまったら、世間体が悪い。絶対にダメだ、と母は言った。絶対に帰って来てはダメだ、と母は言った。塔子は諦めて電話を切った。自分の存在価値がわからなくなった。どこにも逃げ場がないという事が、痛いほどわかっただけだった。自分には帰る家がないという事、そして受け止めてくれる人が誰もいない事、存在自体誰にも許されていない事がわかっただけであった。
二度目は最初の子供を産んだ後だった。わかっていた事だが、彼との結婚生活は過酷なものだった。彼は塔子のすることなすこと、全てが気に入らない人だった。出来る事には何も触れないが、出来ない事には鬼の首を取ったように猛烈に批判した。朝から晩まで塔子をジャッジし続けた。お前のここがダメだ、お前のここが嫌いだ、お前のここが出来ていない、俺がこんなに苦労しているのに、お前はいつも気楽なものだ……。何の苦労もした事がない彼から放たれる頓珍漢な暴言に、塔子は必死で耐え続けた。彼から言われた注意事項はいつも守り、彼から言われた暴言の数々は全て聞き流し、彼から言われた自分のダメなところを必死に改善した。それでも彼の暴言は収まらず、事態は何も変わらなかった。今となっては当たり前の話で、彼はそもそも塔子が何をしようと、たとえ善行を行っていたとしても、暴言を吐く事自体に意味があったのだから何も変わるはずがないのだ。塔子が天使だろうが悪魔だろうが、彼にはどうだってよかったのだ。ただ、人を罵倒したり馬鹿にしたりする事、その行為だけに意味があったのだから。若く、何もわかっていなかった塔子にとって、それは耐え難い日々だった。そんなある日、塔子は高熱を出した。乳飲み子を抱えた身での高熱は、塔子をまたもや愚かにした。彼が暇そうにゴロゴロとテレビを観ながら転がっている中、40度以上の熱を出しながら子供の世話、彼の食事の支度などをしていると情けなくて涙が溢れた。塔子は咄嗟に受話器に手を伸ばし、母へ助けを求めた。辛抱が足りない事は重々承知していたが、どうにもならなかった。母に事情を説明すると、母は心配はおろか、そんな下らない事くらいで電話を掛けてくるな、と言った。母にとっては嫁いだ娘が苦労していようといまいと、どうだってよかったのだ。塔子は諦めて受話器を置いた。傷心の塔子に待っていたのは、彼の嫌味だった。何故、実家に電話をするのか。そんな事をするとまるで俺が頼りない夫みたいじゃないか。嫌味は長々と続いた。ただでさえ傷ついているのに、まるでそこを狙ってわざと石を投げつけるかのような彼の言動に、塔子は二重に傷ついた。誰も、当てにはならない。もう二度と、泣き言など言わないでおこう。決してそれを口に出してはならないのだ。余計に傷つくだけなのだから。

母が死んだ今となっては、何故母が自分を助けてはくれなかったのか、その真意はわからないままだ。あるいは生きていたところで、人の思惑などわかりようのない事なのかもしれない。あの時、塔子は崖っぷちにいたのだ。そんな状況、崖でもなんでもない、甘い、甘い、と他人様から言われようが、自分にとっては真実崖っぷちの状態だったのだ。本当に困った時、辛い時、助けてくれるのは身内だと信じていたが、実際はそうではなかった。塔子は身内を助けるばかりで、誰からも助けてはもらえないのだった。塔子にはそれが不思議でしようがなかった。何故、自分はいつも人に救いの手を差し伸べるのを厭わないのに、事実ずっとそうしてきたのに、自分は蔑ろにされるのであろう? 何故、同じ年頃の他の人達は親の面倒を看ていないのにもかかわらず、いつも可愛がられ甘やかされ、困った時には助けてもらえるのだろう? 塔子にはそれが不思議でしかたがなかった。あまりに不平等な状況に、疑問を持つのだった。答えの出ない違和感の中で、育児をし、介護をし、それがモラルハラスメントとは知らずに彼の言動や振る舞いに右往左往していた。闇の中を無我夢中で走った。複雑に絡まりあう糸に雁字搦めになりながら、何故なのか理由もわからずにただ闇雲に手を振り回しそこから逃れようとしていた。もがけばもがくほど糸はきつく絡まり、全く身動きが取れなくなった。やがてその状況が当たり前になり、塔子は諦めを知った。雁字搦めのまま、日常をこなすのだった。

絡まっていた糸の一つがプツン、と不意に切れた。外れたのではなく、複雑に絡まっていた中の一つが急に切れただけだった。たとえ早すぎる寿命であったとしても、塔子はたいして悲しみを感じず、逆にふうっと息が楽に出来るようになったような気さえした。手探りでその断片を抜いてしまうと、簡単に外れそうな糸を一つ見つけた。塔子は自らそれを抜こうとした。その糸は自分の力で容易く抜ける事に気付いた。ぎちぎちに固まっているそれに手を伸ばし、少しずつ空間を作って緩めた。それは一気に抜こうとすれば簡単に抜けるものだったが、塔子は緩めるだけにして完全には切り離さなかった。この糸と別れようと思えばいつでも自分の力で抜いて捨てられる事がわかったからだ。巻きついていた時には散々塔子を苦しめたその糸は、緩めてみればヒョロヒョロと頼りなく脆い糸である事がわかった。こんなちっぽけで薄汚れた糸がきつく自分を縛っていたと知ると、笑いさえ込み上げた。情けなく頼りないその糸は、今後家族を守る長として綱に成長していくのだろうか? 塔子はそれを垂らしたまま、息がしやすくなった状況で余裕を持って観察するのだった。

自分の力でその糸を抜ける事に気付いたのは、無数にある糸の内の一本が不意に切れたからだった。あの糸が切れなければ、事はこう簡単に進まなかっただろう。そう思うと、あの糸が切れた事にも意味があるのだ。あの一本の糸が切れた事によって、自分がどれだけ絡まっていたかを知る事が出来た上、自分の力で抜ける糸も中には存在する事を知ったのだ。母の死は、無駄ではなかった。塔子に気付きを、そして立ち上がる勇気を与えてくれた。自分に何が足りなかったかを教えてくれた。感謝の気持ちすら生まれた。
無数にある見えない糸は、まだ複雑に絡まっている。その一つ一つが一体何に繋がっているのか。途切れてしまった母糸。切ろうと思えば簡単に切ってしまえる脆い夫婦の糸。まだ確かに強く繋がっている娘と息子の糸。舅や姑に繋がっている糸。姉弟の糸。友達の糸やご近所さんとの糸。取引先の糸。がっちりと掴んで離さなかった病院関係者の糸は、母の死によって同時に切れてしまったが。
手繰り寄せてはその先に何があるかを確認しながら、塔子は決して辿り着けない、行き先の見えない糸がその中に存在する事を感じた。自分の中央に、かなり太いが見えない糸が大きな場所を取ってグルグルに絡んでいる事がわかったのだ。一体、これは何だろう? 一体、これはどこに繋がっているというのか。それを確かめるのは、なんだか怖い。そこに全ての答えがあるような気がして、そしてそこには何の答えもありはしない気がして、探るその手が躊躇するのだ。それは、一個人に繋がっているのか、それとも相対的な観念として漠然とそこにあり、それに繋がっているのか。最初は一個人だったが、もやっとした集合体となった巨大に膨らみ上がった観念に飲み込まれているのか。塔子はその糸の先がどこに繋がっているのか確かめようと手を伸ばした。本当は、心のどこかで答えを知っている気がする。ここを乗り越えなければ、全ての糸は解けない事を知っている気がする。灰色の渦の中からズルっと出て来たのは、父だった。


「母の思い出」シリーズ



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いつも最後までお読み下さりありがとうございます。

しろ☆うさです

今回は久し振りに「母の思い出」シリーズです。といっても本文に塔子のお母さん、そんなに登場しないという……(笑)。

カオスですねー(笑)。

結構、今回は書きにくかった。「目覚め」に入ってから、どちらかというと行動や会話より塔子ちゃんの心の風景の描写が多いので、浮かんでいる映像にピッタリの言葉が見つからないジレンマとの戦い、みたいな感じになっています。自分、ボキャブラリーないからねー(笑)。

しかも、例え話みたいなのが多いよね。芋とか糸とか(爆笑)。もうちっとカッコいい例えはないのか?と我ながら思う。が、これはこれでリアルっぽくていーか、とも思う。

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しろ☆うさでした~~~('ω')ノ


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