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vol.114 目覚め 5

平日の午後、義理の両親の元へ向かった。子供達が小学校へ行っている間に穏便に事を済ませるためだった。彼もその時間には一旦仕事を抜けて戻って来た。先方へ向かう道中、塔子は意外にも自分が緊張していない事を感じていた。不思議だ。どちらかというと神経質で緊張する質なのに、何故か塔子は冷静で、それでいて炎が熱く燃え盛っているような状態だった。頭の中はクールに冴えているのだが、腹の底では揺るぎない何かがでんと居座っているようなのだ。肝が据わるとは、こういう事なのか。塔子は何も怖くなかった。舅と姑が暮らす敵地へと乗り出すのに、何一つ恐れる気持ちがなかった。彼が自分のサイドに立ってはくれないであろう事も、彼という存在自体も、もう何も塔子を脅かす事はなかった。全てを失って、これ以上失うものがない事を深く深く痛感したからであろうか。自分という存在が、そもそも最初から空っぽであったと認識したからであろうか。それとも、私は密かにこの好機を心のどこかで待ち望んでいたのであろうか。イエスマンの如く、いつも本音を隠して仮面を被り、愛想笑いを浮かべていた自分と、金輪際決別出来るのだから。

思い返してみれば、自分は何をあれほど恐れて生きていたのだろう。恐れるに値しないものを、日々ビクビクとしながら生きていたのだ。深く考えてみた事はなかったが、かなり幼い頃から塔子は死を全く恐れる事はなかった。自己愛が育たないまま三十を過ぎてしまった塔子にとって、死は恐怖の対象ではなかった。おそらく殆どの人が死を恐れているのは、そこには当たり前のように自己愛が存在するからであろう。自分が好きで、自分という存在がなくなってしまう事を恐れているからなのだろう。塔子は自分が好きではなかったし、自分という存在に是が非でもしがみつきたい気持ちもさらさらなかった。自己愛を確立している者は、おそらく他者への愛という次のステップも、難なくクリアしている事だろう。そもそも塔子は第一段階でつまずいてしまったのだから、どう頑張ってもそこまで這い上がれるわけがない。それを普通の人々みたいに真似てやってみようとするものだから、場違いで間違いだらけになってしまっていたのだ。

自己愛が育たなかったのはもちろん環境のせいであるが、それを今さら責めたところで、どうにもなるまい。もう自分は三十を越えた大人なのだし、親のせいにしたところでそれが一体何になろう? 時間は戻せないのだ。父には新しい家庭があり、塔子の事などとうの昔に記憶から捨て去ったに違いない。たとえ心の中で時々塔子の存在を思い出す事があったとしても、それは父の中では終わってしまっている過去なのだ。塔子は父にとって過去なのだ。悲しいかな、塔子イコール完結した過去の素材なのだ。母には散々苦労を掛けさせられた。病弱で我儘な母に代わって、塔子が世帯主として働き、母の入院代、そして弟の大学費用を稼いだ。どれだけ尽くしても、母はまだ足りない、まだ足りない、と言って塔子の時間もお金も自尊心も全てを食いつくし、それでもまだ何かを差し出せと飢えていた。大人になった今ならわかる。きっと母はもっと全く別のものを欲しがっていたに違いない。塔子が唯一持っていなくて差し出せなかった愛情そのものを。

死さえも恐れない自分が無意識に恐れていたもの。その存在のために生きにくくさせていたもの。最近ようやく気付いたそれは、ちっぽけで馬鹿馬鹿しいほど滑稽な感情だった。自分はただひたすら恥を恐れていたのだ。世間体。他人からどう自分が思われているのか。知らない事をさも知っているかのように振舞う。自分が放った何気ない一言で相手が傷付かないよう過度の注意を払う。それらは言うならば全て恥から来ているのだ。両親の不仲を世間に知られたくない。両親の離婚を出来るだけ誰にも気付かせないようにしたい。都落ちしてから家計が火の車になり、生活費から弟の学費まで一人で捻出している事を友達に知られたくない。自分の結婚が失敗であった事を世間様に気付かれたくない。十代、二十代の若い頃から親の介護をしている事を知られたくない。母の入院先の看護師達に意地悪をされている事を知られたくない。自分が惨めな存在である事を誰にも知られたくない。ひたすら隠し通し、自分が幸せな人間であると、愛されている存在であると人様から思われたい。苦労知らずの普通の愛らしいどこにでもいる女の子だと思わせたい。
塔子が死よりも恐れていたもの、それは恥、という下らない感情であった。恥を掻くくらいなら、死んだ方がマシと無意識に思っていたのだ。周りの友人達が当たり前のように持っている親や装飾品や愛情を、持っていないと知られる事が死よりも恐ろしかったのだ。可哀想だと見下されるのは、死の恐怖をも遥かに上回り、また死よりも深い屈辱だったのだ。

自分の中の鬱屈としたそういった感情に気付いた事で、塔子は長い眠りから目覚めたような気分だった。自分の中の汚い自分を認め、それを隠すでもなく誤魔化すでもなく、横にしたり裏にひっくり返したりとじっくり眺めているうちに、それが恐れるに値しないものである事が段々とわかってきた。世間体や恥など、本当にちっぽけなものであるとようやく納得したのだ。機能不全家族に育ち、自分でも気付かないうちに巣くっていたその感情は、塔子を守る堅い鎧の役割をしていたのだ。そしていつしかその鎧そのものが重くなり、塔子自身にずっしりと覆い被さっていたのだ。それを着けなくても生きていける、何も恥じなくていい。それに気付いた時から、塔子の中で何かが変わったのだった。何をも恐れる事はない。何ももう自分を脅かしたりはしない。ただ、そうして恐れを克服した塔子であったが、悲しみや孤独、自己憐憫からはまだ抜け出せないでいた。

夫の実家に到着すると、義理の両親が出迎えてくれた。塔子は時間を作ってもらった事に感謝し、四人で揃って席に着いた。女二人は妙に落ち着き、互いに笑顔さえ見せていたが、残りの二人はどこか落ち着きなく、眉間に皺を寄せたままそわそわしていた。塔子はまず、葬式の日に起こった別居騒動について詫びた。詫びた後、何故そういう事になったのか経緯を話した。自分が全て一人で手配して決めた事。一切、彼の手を煩わせはしなかった事。手を煩わすどころか、金銭的な面においても、介護中から葬儀まで一円も彼の負担にはならなかった事。精神面でも助けになってもらっていたのは弟と弟の奥さんの二人であって、彼の支えは一切受けなかった事。全てをあからさまに、正直に話した。彼らは神妙な顔をして塔子の言葉を聞いていた。
「……というわけで、私はお二人に責められるような事をした覚えは一切ございません。若い身空でよくやったな、お疲れ様、と労えとは言いませんが、かと言って私のいないところで、しかも子供の前で陰険な事を言われる筋合いもございません」
塔子がそう締めくくると、義母は不思議そうな顔をした。
「私達が何を言ったというの?」
「言いましたよ。覚えてらっしゃらないようですが、子供達の目の前で私を非難したんですよ。あの子は悪い人間だとか、勝手に私達が買ってやった家に住んでいるとか。全部子供達から聞きましたよ」
「私、そんな事、言ってないわ!」
「じゃあ、子供達二人が嘘を言っているのでしょうね。おかしいですね」
塔子はクスっと笑って、義父と義母を見据えた。義父はスッと目を逸らし、自分には全く関係のない話に巻き込まれている人のような表情をしていた。義母は必死に笑顔を振りまき、気のせい! 全部塔子ちゃんの気のせい! とパタパタと手を振り回した。
「魚、焦がしたって、言ってましたよ」
塔子はにっこりと笑みを浮かべながら、姑の顔を覗き込んだ。
「ちょうど夕飯時で、おばあちゃんはご飯の支度をしていた。その時に私の悪口合戦が始まり、興奮して止まらなくなったおばあちゃんは、魚を焼いている事を忘れてしまった。思い出して取り出すと、既にそれは焦げていた……と聞きましたけど、違いますか? それとも、子供達二人が同時に見た夢ですか?」
姑はハッとした顔になり、もう誤魔化せないと観念したのか、違うのよー、あれはねぇ……と何やらごにょごにょと埒のあかない言葉を発し、最後にそんな事、私、言ったかしらぁ? と呟いた。
「言ったよ。確かに、言った」
それまでずっと無言だった義父が、不意に話し出した。
「お前は、ずっと塔子ちゃんの文句を言っていたよ。そして、魚を焼いている最中なのも忘れ、焦がしてしまった」
舅はそういうと塔子に向き直り、ソファの上で両膝をグッと握り締めながら、頭を下げた。
「すまなかった、塔子ちゃん。許してくれ。悪いのは全部うちの母さんだから」
「……わかってもらえれば、それでいいです。こちらこそお騒がせしました」
塔子も義理の親二人に頭を下げた。それまで固まったまま事の成り行きを傍観していた彼が、急にニコニコと笑顔になった。
「よかった、よかった! これで一件落着! さぁ、帰ろう!」
事が上手く運び、ほっとした彼は、浮足立ったまま玄関へと向かって車に乗りこんだ。塔子はゆっくりとその後を追った。玄関で靴を履き、義理の両親に向かい合った。
「今日はお時間を頂き、ありがとうございました」
塔子がお辞儀すると、義母は満面の笑みでまたいらっしゃいね、と言った。義父は自分の息子が運転席に座っている事を身を乗り出して確かめた後、塔子を眺め、深い溜め息をついた。
「……本当に。我が家の子供達は可哀想だよ。どうして揃いも揃って結婚相手に恵まれなかったんだろうなぁ……」
「えっ……?」
「本当に。うちの子供達は可哀想だなぁ……」
義父は塔子をじっと眺めながら、独り言のようにそう呟き、スッと奥へと消えて行った。

帰りの道中、彼は機嫌がよく、終始ニコニコと笑顔だった。打って変わって、塔子は終始無言だった。あれは、一体、何だったのか? 舅のあの言葉は、一体何だったのか? 何故、舅にあんな嫌味を言われねばならないのか。彼には一人姉がおり、出戻っている。そして、今回離婚は回避したが、彼もつい最近まで別居していた。つまり、自分の子供達は二人とも結婚相手に恵まれなかった、とそう言いたかったのだろう。塔子は流れていく景色を眺めた。沸々と怒りが腹の底から湧き上がり、獰猛な炎は目の前の風景全てを焼き尽くすほどだった。やがてそれは徐々に治まっていき、後に残ったのは静かな確信と、ちょっとした可笑しみだった。連鎖だ。根本は、ここにあったのだ。出会った頃から感じていた、彼の父親への違和感。義母は自分がモラハラにあっている事を一生気付かずに生きるのかもしれない。それならそれでいい。本人がそれでいいのなら、私が口を挟む事ではない。逆に、何も知らないまま一生を終える方が、本人達は幸せなのかもしれない。舅の歪みきった被害者意識を垣間見て、塔子は少し笑った。加害者にしろ、被害者にしろ、自分自身にしろ、被害者意識とはなんと醜くて厄介な代物だろう。殊に七十にもなった老人の頓珍漢で一人よがりな被害者意識ほど、醜悪なものはない。

しかし、義父はこれからの自分の課題を見せてくれたのだ。母が亡くなった直後の別居。介護から葬儀まで一切何の手助けもしなかった彼。仕事、家事、育児、介護。モラハラ。もうこれ以上は背負えないと心で悲鳴を上げながらも、黙々と手を動かし続けた。結果、自分には何も残らず、ただ蜘蛛の巣のごとく蔓延ったのは被害者意識そのもののみであった。自分も、あの七十の老人と、同じなのだ。自己憐憫は、甘美だ。美酒のような、甘い涙さえ誘う。やがて、そこから抜け出せなくなる。被害者意識。自己憐憫。それらが真に無様な存在で、持っていても何の価値もない事を、舅は示してくれたのだ。そして、これらを乗り越えるのが次の自分の課題である事に、塔子は気付いたのだった。


「からくり」シリーズ



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しろ☆うさです


いつも最後まで読んで下さってありがとうございます

今回は「目覚め」シリーズの続きです。5回目になりました。

そろそろ、終わりかな。このシリーズ……というか、この「ひとしずく」という作品が。

今回のおはなしがこの物語の最後の山場?だったので。後はラストに静かに流れていくだけなんですよね。

最初、「目覚め」を書こうか、書かないで終わるか迷っていて、結局書いたのですが、やっぱり書いてよかったのかもなーと思います。何しろ、この部分がこのおはなしの要?だったのですから。

以前にも何度か書いたと思いますが、これって現代版「女の一生」ってイメージで書いているのですよ。モーパッサンの。あれの今風、みたいな感じで。どこまでやれたかってのは置いといて(笑)。

で、ラストはどうしよう? あれってどうとでも取れる結末なんですよね。あの存在を希望と捉えるか、新たなる火種と取るか。「ひとしずく」でも、そういう終わりの方がいいのかな? あれはあれ、これはこれで好きなように終わればいいのかな? とか。

あー。でも「ひとしずく」が終わっちゃったら、次は何書こう……。まだ何も案は浮かばないけど、出来れば全く別のものを書きたいなー。こう……ほら……もっと……どろどろしてない系とか(笑)……違うのがいいなーと思うのですが。どーなるかな。

いつもお越し下さる方、時々見に来て下さる方、ランキングや拍手などを押して下さる方、心から感謝します。いつもありがとうございます

しろ☆うさでした~~(^.^)/~~~



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