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vol.108 根なし草 10

今、自分に渦巻いているこの感情に、塔子は名前をつける事すら出来ずにいた。辛い。苦しい。痛い。塔子を取り囲んでいるこのどす黒いざらざらとした粒子の粗い煙のようなもの、これは一体何なのか。塔子にはそれが何であるのかわからなかった。あまりにも漠然としていて、その感情に名がある事すら気付かずにいた。子供達の手前、何事もなかったかのように日常は振る舞った。今日は習い事の送り迎え。明日の一、二時間目は水泳の授業があるからプールの用意。こなすべき日常の細々とした事は、塔子が生き生きと楽しく生きていようがいまいが、何の変わりはなく平等に訪れるのだ。

彼が出て行ってから一週間ほどした頃、子供達がおずおずとおじいちゃん、おばあちゃんの家に遊びに行ってもかまわないか、と言い出した。瞬間、塔子の胸は矢を刺されたかのようにグサッと鋭い痛みが走った。嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 子供達は父親に会いたがっている。そして、祖父と祖母に会いたがっている。塔子は激しく動揺した。吐いてしまいそうなほどの不快感が体中を貫いた。おぞましさのあまり、塔子は目を閉じた。平衡感覚が失われるほどの目眩が襲う。それでも、塔子はどうにか笑顔を作り、いいよ。行っておいで、と囁いた。子供達には、何の罪もない。何の罪もないのだ。ただ、純粋に父親やおじいちゃん、おばあちゃんに会いたいと思っているのだろう。子供達が行ってしまうと、塔子の心はぽっかりと穴が空いたような、虚ろな気分になった。大丈夫だ。二人はすぐに帰ってくるだろう。そうは思っても、心は不安でざわついた。やはり、行ってはだめだと言えばよかったのか。違う違う、それはエゴだ。私の勝手な醜いエゴを、子供達にぶつけてはいけないのだ。子供達を信じて待つのだ。大丈夫。これ以上の不幸が襲いかかるはずはないのだから。

夜になっても、子供達は帰っては来なかった。程なく電話が鳴り、今日はこのまま泊まると言っている、と彼から連絡が入った。塔子は信頼を裏切られたような、がっかりした気持ちを味わいながら、床についた。私は誰に落胆しているのだろう。子供達はまだ幼く、こういう結果になってしまった理由すらわかってはいない。子供達……否、違う。きっと自分は彼に、彼に落胆しているのだ。心底、がっかりしているのだ。用件だけを言って電話を切ってしまった、彼に落胆をしているのだ。何故、こんなあやふやな状態のまま、全てを放り出しておけるのだろう? 何故、こちらからきっかけを作らない事には、彼は改善のため自ら動こうとはしないのか? 何故、私は母が亡くなって数日しか経っていないのにもかかわらず、なんの慰めも励ましもなく、一人侘しく放置されなければならないのか。

翌日、子供達は帰って来た。出来るだけ明るくいようと、お帰り、とぎこちない笑顔を作って出迎えた。ただいま、と呟いた子供達の顔は、どこかひきつったような、妙な表情だった。まず、塔子と目を合わせようとはしない。一体、どうしたというのか。向こうの家で、一体何があったというのか。準備していた夕食を三人で食べている時も、漂うのは違和感しかなかった。晩御飯を食べ終え、皿を洗い終えた頃、とうとう何も話さない子供達に向かって、塔子は出来るだけ明るく何気無く質問してみた。
「ねぇ。おばあちゃんのお家で何かあったの?」
「えっ……ううん。何もないよ」
小学三年生になった娘の紗耶が、ソワソワしながら、有らぬ方を向いた。
「でも、あなた達、様子が変だよ。絶対何かあったんだと思うなぁ」
「だって、お母さん……言えないよ、お母さんには……」
「う~ん。心に溜めてる方が、ツラくない? 言っちゃえば楽になるかもよ」
「うん……でも、お母さん、嫌がるかなぁって思うから……」
「お母さんの事を気遣ってくれて言えないなら、そんな事は気にしなくていいんだよ。お母さんは大丈夫だから」
「ホント? じゃあ言っちゃうけどね……お母さん、お母さんって、悪い人間なの?」
「はっ?」
「だって、おじいちゃんが怒ってたよ、お母さんの事。あの子は悪い人間だって。うちの可愛い息子を追い出した、とっても悪い人間だって」
横でぼうっと成り行きを見つめていた小学一年生の息子の海斗が、突然そうそう!と叫んだ。
「お母さんは悪い人間だって、おじいちゃんが言ってた! 何度もそう言って怒ってた!」
二人はじぃっと塔子の顔を見つめた。
「お母さん、悪い人間だったんだね。知らなかったよ」
「ずっと、優しくていいお母さんだと思ってたのに。本当は違うんだね……」
「おばあちゃんも、怒ってたよ、お母さんの事。こっちが買ってやった家に勝手に住んでる悪い人間だって」
「そうそう! おばあちゃん、スッゴク怒ってたよ。あのね、お魚を焼きながらお父さんとおじいちゃんとおばあちゃんの三人で怒ってたらね、お魚が真っ黒に焦げちゃったの。おばあちゃん、お魚焼いてる事、忘れちゃうくらい怒ってたから」
塔子の目の前から、一切の色彩が消えていく。ギィギィと心が捻られていく音だけが聞こえる。これ以上の、これ以上の不幸はもうないと思っていた。甘かった。本当に甘かった。まだまだ、まだまだ、悪夢は続くのだ。これまでよりもヒリヒリと辛く、全身を赤剥けにされたようだ。否、違う。もう、すでに私は赤剥けの状態だったのだ。それを彼と義理の両親は、事もあろうに寄ってたかって皮膚のない体に更に追い討ちをかけるかのごとく、情け容赦なく鞭打ったのだ。

あぁ。子供達はまだこんなにも幼い。何が本当で何が正義なのかも判断がつかない。当たり前のように慈しみ、当たり前のように我が血を授乳によって分け与え、何の見返りも持たなかったとはいえ、こんなにもあっけなく日々の積み重ねや努力や揺るぎない愛情さえも木っ端微塵に潰されてしまうとは。何の確証もない発言に、一方通行の偏った意見に、いとも容易く親子の絆さえも引きちぎられてしまうとは。悔しさのあまり、ブルブルと震えながら、塔子はニッコリと微笑んでみせた。
「大丈夫だよ。あなた達のお母さんは、悪い人間?とかじゃないから。何を言ってるんだろうね、子供の前で。きっと、何か勘違いしちゃったんじゃないかなぁ~」
「えっ? そうなの?」
「お父さん達が間違ってるの?」
「う~ん。どっちが間違ってる、間違ってないとかの問題じゃなくて……。お母さんはよくわからないけど、きっとどっちも間違ってないんじゃないかなぁ~」
「ふ~ん。そっか」
「なぁ~んだ。そうなんだぁ」
「あなたのお母さんは悪い人間って言われたから、なんだか帰りづらかったんだよね」
「ボクも! 帰るのがホントはスゴく嫌な感じだった! だって、悪い人がいる家には帰りたくないもん」
「誤解されたら困るから言っておくけど、お母さん、別にあの人達のお金を勝手に取ってここに住んでいる訳じゃないからね。その辺も、安心してね。何~にも悪い事はしてないから」
「そうなんだぁ。よかった!」
「みんな、勘違いしちゃってるねぇ」
「そうだねぇ。悪気はないと思うよ~」
塔子の言葉に、子供達はホッとした表情を浮かべ、少しずつだがいつもの調子に戻ってきた。目もちゃんと合わせるし、硬く強ばっていた顔も柔らかくなっていった。三人で仲良くお風呂に入り、布団を三つ並べて寄り添って眠った。順番に背中を撫でてやると、気持ちよさそうに安心しきった顔で、スヤスヤと眠ってしまった。よかった。簡単に壊されるような細い絆ではなかったのだ。どれだけ惑わされようと、結局は日々の積み重ねや真の愛情に子供達は気付いてくれるものなのだ。寝入ってしまった子供達のふっくらと膨らんだ頬を見つめながら、塔子はそう確信した。

それでも。彼らがした事は許せない。彼らは絶対にしてはならない事をしたのだ。絶対にしてはならない大罪を犯したのだ。生まれて初めて体験する猛烈な怒りに、胸がカッと熱くなる。こんな感情は、初めてだ。私は許せない。絶対に、許しはしない。今、まさに立ち上がる時なのだ。

夜更けの寝室で、塔子は誓いを立てた。これまでの自分がちっぽけに思えるほど、怒りは塔子を奮い起たせた。戦うのだ。自らの名誉のため、戦うのだ。誰も味方にはなってくれなくても、たとえ一人ぼっちでも、そんな事はどうでもよい。私はもう決めたのだから。これまでの弱い自分と、さよならするのだ。私は、私の幸せのために、これからは生きるのだ。お母さんのために自分の全てを捧げてきた自分と決別出来たように、次は彼が奪い続けた自分の尊厳を、喜びを、取り戻す番なのだ。私は負けない。私はこれから先、何かに負けたとしても、もう自分には決して負けないと、固く心に誓う。


根なし草 全十話完


根なし草 1~9



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しろ☆うさです。

訪問して頂き、ありがとうございます

今回は「根なし草」シリーズの続きです。全十話で、なんとか完結しました。

結構、続いたなぁー。うん。でもまぁ、想像していたよりは結構詰め込んで書けたような気がする。内容重視で文体とかはいつものようにめちゃくちゃですが(笑)。

なんとか終わったこのシリーズですが、次からどうしよう(笑)? まだ考えがまとまってない~どころか、下書きが全くない状態なので。ぶっつけ本番でいくか(笑)。とりあえず、ネタ、考えないとな~。

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