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vol.104 根なし草 6

梅雨の中休みなのか、痛いほどに陽射しが照りつける暑い日だった。
車を停め、塔子と弟はロビーへと駆け込んだ。まだ早朝という事もあり、院内はがらんとしていて、人影はどこにも見当たらない。広いエントランスを通り抜け、長く薄暗い廊下を早足で歩く。途中、簡易式の開閉ドアのロックを外し、通り過ぎればまた鍵を掛ける。何度かそれを繰り返した後、やっと目的のエレベーターに辿り着く。重厚なドアが閉まり、エレベーターは二人を目的の階まで運ぶ。扉が開くと、目の前にある詰所から、見知った看護師が二人出て来た。
「お気の毒ですが、一時間ほど前に……」
看護師はそこで何故か言い淀んだ。言葉を繋げられない若い看護師に代わって、今度は年配の看護師が手招いた。
「こちらにいらっしゃるから。お顔を見て上げてね。綺麗だから」
通された部屋は、数日前に母が移っていた、広い個室の部屋だった。もう、長くはないと言われた時から、母はその部屋に移されたのだ。前に来た時は母はすでに昏睡状態で、塔子がいくら呼びかけても、目を覚ます事はなかったのだった。
「お身内だけで、ゆっくりお別れしてあげてね」
年配の看護師は優しくそう言い、ドアを開けた。塔子と弟が入ると、後ろで静かにドアの閉まる音がした。とても広いがらんとした部屋に、母はいつものように眠っている。いつもと違うのは、顔には白い布が被さっているところだ。
「あぁ」
ベッドまで進める足が、うまく動かなかった。とてつもなく長い距離に感じた。それでもなんとか歩みを止めず、塔子は母の元に辿り着いた。震える手で布を拭うと、そこには美しく化粧を施した母が眠っていた。お母さん! お母さん! その叫びは喉元まで出かかった。うわぁっと泣いて縋り付きそうになった。

「安らかに眠ってる」
塔子の背後で落ち着いた弟の声がした。塔子は我に帰り、占領していた場所を弟のために空けた。弟は何も言わず、じっと長い間母の顔を見つめ続けた。心の中で何かを母に向かって語りかけているのか、それともただ静かに事態を把握しているのか、塔子にはわからなかった。弟はやがてくるりと踵を返し、塔子に向き直った。
「化粧した顔、久し振りに見た」
弟の穏やかな表情とトボケた発言に、一瞬激しく起こりそうだった慟哭のようなものが、スーッと消えてなくなっていくのを、塔子は感じた。
「ほんとだね。でも、お母さん、こんな色の口紅、付けなかったよね」
「うん。激しく違和感」
二人はくすっと笑い合った。
「ありがとう。一緒に来てくれて。私一人で先に着いていたら、どうなっていたかわからない」
「お姉ちゃんは充分にやったよ。何年も。一人で」
弟は母の顔を見つめながらそう言った。
「何も知らずに再婚して、どこかで呑気に生きている親父は当てにならないし、俺は遠方で全然当てにはならなかったしね。小さな子供二人もいるのに、よく頑張ったと思うよ」
「何をエラそうに……」
塔子はそう呟きながら、じわっと涙が出そうになるのを、慌てて堪えた。心の中で、弟に何度もありがとう、ありがとう、と呟いた。その言葉だけで、その労いと償いの気持ちだけで、私は頑張った甲斐があったよ、と弟に合掌したい気持ちになった。たくさん、たくさん、恨んだ。父を。母を。周りの幸せなママ友を。舅を。姑を。義姉を。彼を。自分を。母より早く、自分が死んでしまいたいほど悩んだ事もあった。それらの混沌とした黒く薄汚れた感情が、弟の言葉で全て報われたように思えた。終わった。やっと終わったのだ。

コンコン、とどこか遠慮気味なノックの音が背後からした。二人が振り返ると、そこには義妹が立っていた。弟が立ち上がり、大股で歩いてドアを開けた。
「来てくれたのか」
「うん。子供達は大丈夫だよ。私の実家に預かってもらうから」
義妹は静かな声でそう言い、塔子にそっと近付いて来た。
「お義姉さん……この度は……ご愁傷様です……」
深々と頭を下げる義妹に、塔子は微笑みながらその肩を抱いた。
「大丈夫だよ。私達二人だけしかいないし、そんなに硬くならなくても。それより、わざわざ来てくれたんだね。どうもありがとう。遠かったでしょ?」
「いえ、そんな……」
「母に会ってくれる?」
義妹はこくんと頷き、母に近付いた。弟の横に寄りそうようにして、義妹は母と対面した。お義母さん……と小さく呟き、義妹はハンカチで涙を拭った。大丈夫だよ、というように、弟は義妹の背中を優しくトントンと叩いている。それは心温まる、素敵な夫婦愛の縮図のように映った。

暫くして、トントンと再びドアをノックする音がした。はい、と塔子がドアを開けると、歳の若いあまり見覚えのない看護師が立っていた。
「この度はご愁傷様です……」
彼女は神妙な顔をして、そっと頭を下げた。塔子も静かに頭を下げた。
「あの……葬儀の手配などは、もうお済でしょうか?」
「あ……ごめんなさい。まだです……」
「いえ。突然の事なので、手配されてらっしゃらなくて当然ですよ。あの、これ、こちらでお渡している葬儀社の一覧なんです。よかったらどうぞ」
彼女はそう言って、塔子にファイルを手渡した。
「わざわざすみません。ありがとうございます」
塔子はそう言って受け取った。
「ここに記載されている葬儀社以外でも、別に構いませんよね?」
「はい。それはもちろん大丈夫です」
歳若い看護師はそう言って穏やかに微笑んだ。そして来た時と同じように静かに去って行った。
三人だけになると、ファイルを開けて、葬儀社の検討を始めた。身内だけで静かに送る事に決めていたので、大手の葬儀社は不向きであった。家族葬で充分であったので、彼女が渡してくれたファイルに載っているところは、どこも自分達とは合っていないような気がした。
「私、前からちょっと調べてたんだけど……」
塔子はスマホを出して、検索した。
「こことか、よくない? こじんまりとしたところで」
塔子がスマホを差しだすと、弟は画面をスクロールしながらうん、と呟いた。
「大層にするわけじゃなし。俺もここでいいと思う」
「だよね。じゃ、ここに連絡してみるよ」
塔子は電話を掛けた。話は驚くほどトントン拍子に進み、二時間後に引き取りに来る事になった。
「……なんだか、あっけないね。今から出て、二時間くらいで着くって。お母さんの家の住所と今私達がいる場所があまりに離れているから、びっくりしていたみたい」
電話を切って塔子がそう言うと、二人は無言で頷いた。やがてハッとした顔になって、義妹が突然立ち上がった。
「お義姉さん、お腹、空いてませんか? 朝から何も食べてらっしゃらないでしょ」
「うん……でも全然食べる気がしないし」
「ダメですよ。これから葬儀社さんが来られたらますます忙しくなるんだし。今のうちに何かちょっとでも食べておかないと。ね? 私、何か買って来ます」
「ありがとう、かなちゃん。ホントにいいのかな」
「いいんですよ! 適当に何か、見繕って来ますね!」
義妹が出て行くと、弟がすっと立ち上がった。
「俺も行って来る。まだ売店も開いてる時間じゃないし、外は山ばかりで店を探すにも大変だし」
「そうだね。行ってあげて」
弟が後を追って行ってしまうと、急に部屋の中がしん、となった。部屋には生きている人が一人。亡くなった人が一人いた。塔子はファイルやスマホなどを小さなテーブルの上に置いて、母に近寄った。
「やっと、二人きりになれたね」
塔子は微笑みながらそう呟いた。
「……あのね。何か言いたい事があるような気がするんだけどね。何だったのかな。もう、思い出せないよ」
塔子の囁きが聞こえるはずもなく、母はその場でじっとしていた。
「いっぱいいっぱい言い残した事があるような気がするんだ。でも、それが何だったのか、全然思い出せないの。不思議だね」
塔子は椅子を持って来て、母の横に座った。
「……でも、お互い、頑張ったと思うよ。お母さんも、私もね。納得のいかない人生を。なんとかやり切ったよね……」
塔子は頬杖をついて、母の寝顔をじっと見続けた。終わったのだ。これで本当に終わりなのだ。これから、何かが変わるのだろうか。
「……よかったね、お母さん。もう、苦しまなくていいんだよ」
そう呟き、塔子は白い布を母の顔に被せた。

ゆっくりおやすみ、お母さん。後の事は全部塔子に任せて。いつものように、ゆっくりおやすみ。


「根なし草」シリーズ



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しろ☆うさです

いつも最後までお読み下さり、ありがとうございます

今回は「根なし草」の続きです。

6話目になりました。

まだ6話目?って感じですが(笑)。間、二年も放置だったからか、ずっとこれを書いているような気がするけれど、まだそんなものなのねー(笑)。

この「根なし草」はそんなに長くは続かない?と思います。「母の入院生活」のように34話も続く事はないと思います(笑)。

塔子が「何かに気付く」ところで終わりたいなと思っています。で、その後、新たなシリーズに突入したいなぁ、と。

その「根なし草」後の新たなシリーズこそ、本当に伝えたい事?なのですが、どこまで出来るのか……ねぇ(笑)。自分でもさっぱりわかりません。その辺りからは下書きすらないので(笑)。どう進めていくべきなのか、進めない方がいいのか、まだ模索中なんですよね。

そのシリーズのタイトルすら、まだ浮かびません(笑)。

やる気あんのかー?っていう、ね(笑)。

いつも訪問して下さる方、時々覗いて下さる方、拍手やランキング等押して下さる方、本当に感謝しています。ありがとうございます

しろ☆うさでした~~(*´v`)



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