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vol.102 母の入院生活 34

荷物の整理を済ませると、塔子は近くにあった簡易の椅子を持って来て、母の枕元に座った。母は神妙な表情を浮かべたまま、黙って天井を見ていた。
「疲れたでしょ。大丈夫?」
塔子がそう声を掛けると、母は訝しそうにゆっくりと首を傾けた。
「何?」
「疲れたかって訊いたの」
「聞こえない」
「……うん。大丈夫みたいだね」
思わず苦笑いをしながらそう言うと、母はむっつりと硬い表情を崩さないまま、じっと塔子を眺めた。目の焦点が定まっていない、独特の視線がそこにはあった。母は要介護5の半身不随であるが、認知症ではない。脳梗塞になった後からまるで認知症のような症状が出た事はあったが、それは日によってまちまちであった。耳は確実に遠くなり、元々糖尿病で悪かった目は、益々悪化したようだった。視点の定まらないその目はいびつで、見る者をどこか不安にさえさせるのだった。

「……ここ、遠かった」
「えっ?」
だんまりを決め込んでいた母が不意に喋ったので、塔子はびっくりした。そして、どう言葉を掛けるべきか迷った。そうだ。ここは遠い。母の住む町からも、塔子が住む町からも、今までいたリハビリ専門病院があった町からも、とても遠い場所までやって来たのだ。遠回しに嫌味を言われているような気がして、今度は塔子が黙り込んでしまった。私だって、一生懸命探したよ。子供達に不便な思いをさせて、自分の体調がどんどん悪くなろうとも、あなたの次の行き先を探す事を一番に考えてきたよ。その努力を蔑ろにされたような気がして、塔子は腹立たしさを覚えた。どれだけ足を引っ張られようと、それをおくびにも出さずにやって来たというのに。どれだけ面談に行っても落とされ、やっとの思いで見つけた場所なのに。やがて腹立たしさは消え去り、ただただ自分の力不足をしみじみと感じ、惨めな気分になった。私がもっとしっかりしていれば、事態は違ったのだろうか。自分の役不足だったのであろうか。自分の不出来の具合を周りと比べてみようにも、30代子育て中のママ友の中で、自分と同じ立場の人は誰一人見当たらない。親の介護はおろか、未だに親に頼って子供を預かってもらっていたり、たまに小遣いをもらっていたり、体調不良の場合には親に家に来てもらって家事や子育てを代わってもらったりしているような人達ばかりだ。これでは比べようがない。そもそも次元の違う話なのだ。情けなさに塔子はぐっと涙を堪えた。母だって、不安なのだろう。勝手に話を進められ、見も知らぬ場所に連れて来られたのだから。嫌味の一つも言いたくなるだろう。仕方がない。

やがて徳井が数名の人を連れて病室に入って来た。
「これから、田中さんには診察を受けて頂きます。鈴木さんは入院の手続きがありますので、こちらに来て下さい」
病室に入って来た医師や看護師に頭を下げ、塔子は徳井に連れられて、病室を後にした。またあちこち歩かされるのかと構えていると、徳井は病室のすぐ横の詰所へと入っていった。どうやら、手続きはここで行うらしい。勧められた椅子に腰かけると、徳井は淡々と抑揚のない声で説明を始めた。時折ここにサインを、ここに判を、などと中断する以外は、声のトーンはいつも穏やかだが一本調子であった。言われるがまま住所や氏名を記入したり判を付いたりしていると、やがて先程の医師や看護師達が詰所に入ってきた。
「こちらが田中さんの担当医師の○○です。そして、こちらが看護師長の△△です」
徳井が紹介をすると、年配の医師は軽く頭を下げた。どう見ても、50代の母より年配のように見えた。看護師長は40代後半くらいの化粧の濃い女性であった。塔子が頭を下げると、にっこりと微笑んだ。それから二人の若いスタッフがやって来て、彼らも自己紹介をした。一人はリハビリ担当のスタッフで、一人は言語障害のトレーナーだった。
「全員揃いましたので、会議を始めたいと思います」
徳井がそう言い、会議が始まった。まず初めに以前の入院先から持ってきた書類や薬などを出すように言われた。塔子がそれらを差し出すと、彼らはそれらを調べ、台帳やカルテなどに書きつけた。そういう事をしているうちに、不意に塔子は後ろから声を掛けられた。
「田中さんの娘さんですか?」
「はい」
「○○リハビリテーション病院というところからお電話が入っていますよ」
一瞬、場が静まりかえった。塔子を含め、皆はお互いの顔を見まわした。一体、なんなのだろう。塔子は立ち上がった。
「すみません。電話に出てもいいですか」
どうぞ、という言葉に押され、塔子は詰所の保留になっている電話に手を伸ばした。一体、何事だろう。何か忘れ物でもしただろうか。否、それはない。出る時あんなに何度も確認したではないか。
ふと、嫌な予感が胸に広がった。まさか。ありえない。まさか、そんな事が……。
「……はい。お電話かわりました。鈴木です」
「あ。田中さんの娘さんですか? こちら○○リハビリ病院ですけど」
塔子の予感は的中した。この声。受話器の向こうから聞こえる声。やはりあの子だ。
「私の出勤前に退院されたようで、入れ違いになったみたいで」
「……そうですね」
それがどうしたというのだろう。声の主は母の担当であった、塔子と同じ歳くらいの看護師からだった。この子には、苦労されられた。病院で出会った時には何も言わないのだが、いつも帰宅すると必ず電話を掛けてくるのだ。用件は準備する物などの連絡事項が主で、その時に言ってくれればいいものを、二度手間三度手間は日常茶飯事であった。二、三日に一度は顔を出していたのにもかかわらず、電話がない日は何故か用件を大きくメモに書いて引き出しに貼っていたりするのだった。どれも他愛のない内容ばかりなので、面と向かって言えばいいのに、変わった人だな、と思っていたが、まさかここまで電話してくるとは。
「担当の私がいなかったので、おそらく他の看護師や看護師長ではわからなかったと思いますが、まず、○○の薬はこうして……それから△△の薬はこうで……」
彼女は突然、薬の説明を始めた。母はたくさんの薬を飲んでいたので、それは延々と続いた。この子は、一体、何を言っているのだろう。病院が変わったのだから、当然薬だって見直して、新しい物に変わる。ちょうど今、その確認を全員でしていたところだ。塔子はそれを言おうとして口を開きかけたが、止めた。言わせておこう、と何故か思ったのだ。きっと彼女だって馬鹿ではないはずだから、自分のしている行為がわかっているはずだ。もう、それらが必要ではない事を、認識しているはずなのだ。それをわざわざこうして電話を掛けてくる。これは電話を掛けるという行為そのものに、きっと意味があるのだ。

小さな嫌味かもしれない。あんなに世話してやったのに、私がいない内に転院して行った! プライドが傷ついたのかもしれない。否、そうではなく、元々の彼女の性格が、成す業なのかもしれない。面と向かって、人とコミュニケーションが取れないのかもしれない。入院してすぐの頃、彼女は誤って母の指を怪我させてしまった事がある。その報告さえ、彼女自身からではなく、他の看護師から聞かされたのであった。その看護師は丁寧に詫びてくれたが、結局彼女からは何の謝罪もなかったのだ。しかし、塔子はその行いに対して、彼女を責めた事は一度もない。大人なのに変わった子だな、と思っただけだ。彼女はそれからも母が手がかかる内容の話はいつも塔子に愚痴のようにしてきたが、結局大事な事は何一つ言わなかったのだ。

「……これで以上です。大丈夫ですか? 覚えられますか? ちゃんとメモを取りましたか?」
ようやく彼女の長い話は終わったようだった。メモなんて、取るはずもなく、そんな長い話、覚えられるはずもなければ、覚える必要すらなかった。きっと、彼女だってわかっているはずなのだ。自分が不必要な事をしている事を。それでもおそらく、止められないのだ。小さな嫌味を、電話での嫌がらせを、止められないのだ。
「大丈夫ですよ。ちゃんと取りましたよ」
塔子は相手を安心させるために、わざと優しく声をかけた。
「○○さん、本当はちゃんと顔を見て言いたかったけど、非番でいらっしゃらなかったから、今言いますね。長い間、母の面倒を看て頂いて、ありがとうございました」
塔子がそう言うと、暫く彼女は黙りこんだ。ヒットだ、と塔子は感じた。おそらく、彼女は私からこの言葉が欲しかったに違いない。彼女はごにょごにょと母がどれだけ手のかかる人だったか、という話をして、やがて静かに電話は切れた。塔子はふうーと長い溜め息をついた。おそらく、もう、大丈夫だ。これからは電話が掛かってくる事はないだろう。塔子は確信した。
承認なのだ。きっと、彼女は認めてほしかっただけなのだ。そして、今、彼女はやっと満たされたのだ。


その日を境に、母はその新たな病院で過ごす事になった。それは数年続き、母が亡くなるまで続いた。


(母の入院生活 全三四話 完)



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いつも最後まで読んで下さってありがとうございます

しろ☆うさです

今回は、いつもの「母の入院生活」シリーズを更新しました。

そして、長かったこのシリーズ。やっと完結しました。

34話も続いたのねー。いや~長かった!!

最初の方のストーリーなんて、自分で書いておいてあまり内容覚えてないもん(笑)。もう、長過ぎて(笑)。

長かったわりに、尻切れトンボ?な結末になってしまった感が……。

まぁ、このシリーズが終わっただけで、まだまだこのおはなしは続くので、尻切れでもいいか。

次回からは、途中で放り出したままの「根なし草」のシリーズに取りかかる予定です。

あ、「母の入院生活」シリーズも、「根なし草」シリーズも、左のカテゴリ一覧にあるので、興味がある方はシリーズ毎にまとめて読んでみて下さい。

「根なし草」は、今回完結したおはなしのその後の内容になっています。

それで……話は変わりますが、またまた気を抜いていたら、更新が遅れてしまい、スポンサーサイトが表示されていました 申し訳ないです。

いつも訪問して下さる方、時々覗いて下さる方、そしてランキングや拍手などを押して下さっている方。いつも感謝しています。ありがとうございます

しろ☆うさでした~~o(^o^)o



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