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vol.10 追いかける人

その日は、娘の沙耶が通う幼稚園の行事があった。
絵画や粘土作品、それにクラス全員で作り上げた、教室を埋め尽くすほどの大きな作品が、各教室に展示される。年に一度行われる、恒例行事だ。

いつも、その行事は日曜日に執り行われる。父母揃って、作品を観に行く。沙耶は年中なので、二回目の行事となる。明日は日曜日だけど、幼稚園に行くんだよ、沙耶の作品、楽しみだな、と塔子は言った。沙耶は笑顔で両手を振り回し、こーんなおっきい列車を作ったんだよ!と塔子に教える。毎日教室の前までお迎えに行くので、どんな作品が展示されているのか、塔子はすでに知っていたが、そうなんだぁ!と子供のワクワクした気持ちを削がないように答えた。

「えっ。明日だっけ。幼稚園行く日って?」
寝そべってテレビを観ていた彼が呟いた。
「そうだよ! もう、お父さんは忘れんぼうだな!」
沙耶が笑いながら、お父さんに抱きつく。
ごめん、ごめん、と言いながら、彼は娘を抱き上げる。沙耶はキャーキャーと歓声を挙げながら、幸せそうに父親の首に腕を回す。
「抱っこ。抱っこ。カイくんも、抱っこよー」
姉が高い高いをしてもらっているのを目ざとく見つけた海斗が、両手を広げた抱っこポーズでトコトコと近寄る。彼は娘を降ろして、今度は息子を抱き上げる。
「高い、高いー」
海斗は喜びで頬をぷっくりと膨らませ、喉を鳴らして笑った。

当日、彼の機嫌は悪かった。
朝起きると、腰の具合が悪くなっていたようだ。塔子がおはよう、と声をかけても、返事をしない。むっつりと黙り込んだままだ。忙しそうに子供達と自分が出掛ける準備をしている塔子を、腰を摩りながら眺めている。
「どうする? 行くの、止める?」
塔子が彼に話しかけると、彼は大きな溜め息をついて、行くよ、と呟いた。
「無理しないでいいよ。私だけで行ってもいいんだし」
彼は無言で立ち上がり、出掛ける準備を始めた。そして運転席に乗り込んで、エンジンをかけた。塔子は慌てて残りの洗濯物を干し終え、みんなが食べ終わった後の食器を流しに運び、家中の窓を閉め、子供達を車に乗せて、ドアに鍵をかえた。

彼の機嫌はますます悪くなっていた。待たされる事が、何より嫌いなのだ。行列に並ぶ事も出来ない。子供達を連れて遊園地へ行った時も、並んでいる最中ずっと文句を言っていた。足がダルイ。疲れた。喉が渇いた……。今日は、文句を言わないだけ、まだマシだ、と塔子は思った。
車は幼稚園がある道路の、少し前で停まった。塔子は沙耶を降ろし、続いて海斗を降ろした。
「オレ、整骨院、行ってるから。帰りは自分達で歩いて帰って来て」
「あ……うん」
塔子の返事も待たずに、車は去って行った。塔子は左手で沙耶の手を握り、右手で海斗の手を握った。
「ねー。なんでお父さん、幼稚園に行かないのー?」
沙耶が無邪気に尋ねる。
「あのね、腰が痛いんだって。だから、病院へ行くんだって」
「今じゃなきゃダメなのー? 沙耶の列車を見てからじゃダメなのー?」
「うん。あのね、病院、朝しかしてないんだって。でもきっと終わったら……」
塔子はそこで言葉を飲み込んだ。でもきっと終わったら来るんじゃない?なんて、子供に期待をさせるのは不憫だ。淡い期待をして裏切られる辛さを、塔子は沙耶に味あわせたくはなかった。
「きっと終わったら……なに?」
「早く行かないと、幼稚園、閉まっちゃうよ。行こう、行こう!」
塔子は二人の小さな手を握って、幼稚園へと向かった。

作品を見終え、帰ろうとすると、雨が降っていた。お母さん、傘忘れちゃったから、どこかで買わないとね、と言いながら幼稚園を出ると、彼の車がそこにあった。迎えに来てくれていたのだ。
「ありがとう!」
塔子は喜んで車に乗った。
「腰の具合はいいの?」
「あぁ。もう、治った」
彼の機嫌も治っていた。塔子は嬉しくなった。子供達は、腰が治ってよかったねーと手をパチパチさせた。
雨足は、徐々に強まった。帰ったら、そくお昼ごはんの準備をしなければならない。塔子は記憶を辿り、冷蔵庫の中を思いだした。子供達と自分だけなら、なんとか間に合わせられるが、四人分ともなると、ちょっと物足りないような気がした。
「ねぇ。せっかく迎えに来てくれたんだし、ちょっとそこのスーパーに寄ってくれないかな? お昼ごはんの材料、買いたいんだけど」
彼は車を駐車場に入れず、道路の脇に付けた。「駐車場に入れるの面倒だから、ここでいいだろ? 俺達待ってるから、早く買ってこいよ」
塔子は車を降りてスーパーへ走った。走りながら、頭の中ではメニューを考えていた。アレを作るには何が要って……。冷蔵庫の中には、アレが入っていて……。塔子はカゴを掴み、食材をゆっくり吟味する暇もなく、店内を所狭しと駆け回った。知人に出会っても、またねっ、と軽く挨拶をして、すぐにその場を離れた。晩ごはんの献立を考えて一緒に買い物してしまいたかったが、それでは時間が長く取られてしまう。晩は晩で、また後で買いに出ればいい。今はとにかく、彼の機嫌が良いままでいて欲しい。たとえ、自分が二度手間、三度手間を被っても構わない。彼の怒りに触れなければ、それでよいのだ。

買いたい物をほとんど買えないまま、塔子はレジに向かった。せっかく早く選んだのに、レジは長蛇の列だった。お昼時はいつだってどこだってこんなものだ。仕方ない。塔子は最後尾に並んだ。レジはなかなか進まず、塔子はじっと我慢強く待った。その時、不意に彼の声が聞こえた。
「まだ、こんなところに並んでるのかよ」
塔子はびっくりして振り返った。塔子のすぐ側に、彼が立っていた。
「駐車場に停めてない事くらい、わかってんだろ? 早くしろよっ」
彼はそれだけ言うと、再び立ち去った。彼は一人だった。子供達を置いたまま、彼は一人で塔子の後を追って来たのだった。塔子は茫然とカゴの中を見た。……にんじん。そうだ、にんじんを買い忘れている。

塔子は後ろを振り返った。彼女の後方では、すでに5,6人が列を成している。
もう、遅い。にんじんを取りに戻って再び並びなおすのは、あまりにも時間を取り過ぎてしまう。塔子は諦めた。





しろ☆うさです 最期まで読んで下さってありがとうございます

この「ひとしずく」という話は、親子関係(主に母子関係)について、また夫婦間のモラルハラスメントについて書いている、オリジナル小説です。



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